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五郎兵衛記念館

お知らせ(Information)                    

関所破りの桜写真展を開催しています

 五郎兵衛記念館の敷地には「関所破りの桜」と呼ばれるみごとなシダレザクラがあります。例年は4月中旬頃満開になりますが、それに合わせ、浅科写真クラブのみなさんのご協力で写真展を開催しています。

 満開の関所破りの桜を収めた鮮やかな作品の数々です。庭の本物の桜と合わせ、ぜひご覧ください。入場は無料です。

 

期  間:4月10日(火)~5月6日(日)(16、23日は休館)

会  場:五郎兵衛記念館2階会議室

 


 五郎兵衛記念館企画展 「五郎兵衛用水の維持・管理」

 
 
 
 
 
 
 
 
 

企画展「五郎兵衛用水の維持・管理」

  日 時 : 3月3日(土)~3月25日(日) 午前9時~午後5時
        (3月5日・12日・19日・21日は休館)
  会 場 : 五郎兵衛記念館
            

展示説明会 

  日 時 : 3月18日(日) 午前10時~11時30分

  会 場 : 五郎兵衛記念館

 五郎兵衛用水は、開削するのも大変な用水でしたが、維持するのも大変な用水でした。というのは、いわば土で固めただけの用水路でしたから、大水などでしばしば壊れたからです。また、掘貫(トンネル)が落盤で崩れることもたびたびでした。そのたびに村人は補修にあたらなければなりませんでした。
 今回の企画展では、ここに焦点を当て、五郎兵衛用水はどのように維持・管理されてきたか、その様子を紹介します。18日(日)には記念館職員が展示資料の説明を行います。地域の人々が守ってきた用水の歴史をご覧ください。

 


 五郎兵衛記念館報告会を開催しました(9/3)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 五郎兵衛記念館2階会議室にて、今回で第4回目となる古文書調査報告会を開催しました。当日はあいにくの天気でしたが、会場に入りきらないほど多くの方にご参加いただき、市外からお越しの方もいらっしゃいました。
 今回は、「市村新田から常田村への「村名改称願い」を読む」、「天朝御料尾州御取締り所について」の2つの報告を行いました。はじめに、市川五郎兵衛が開発したと言われる市村新田の村名が、常田村から市村新田へと改称された経過や、明治に入り再び常田村へと戻るまでの詳細を地元史料などをもとに報告しました。2つ目に、幕末から明治にかけて、幕府の直轄領だった五郎兵衛新田を含む村々と尾張藩(現在の愛知県)との関係や、佐久郡一帯が長野県へ編入されていった経緯などを報告しました。

 


 「五郎兵衛用水を歩く会」を開催しました(8/6)

 この会は、昔の五郎兵衛用水をたどり、先人の努力や苦難の歴史を知っていただこうと毎年開催しているイベントです。第19回となる今回は、44名の方に参加いただきました。
 参加したみなさんは、講師の話を聞きながら、トンネルを掘ったり土を盛るなどして作られた用水跡を感心した様子で見学していました。午後には用水の源水までたどり、水源林より流れる水の冷たさとおいしさを体験することができました。
 この会はリピーターの方も多く、中には13回参加という方もいらっしゃいます。興味を持たれた方は、次回、ご参加ください。
 また、来年まで待てないという方は、五郎兵衛記念館に付近の散策マップを用意してありますので、こちら利用してご自身で散策などはいかがでしょうか。
 


東北地方太平洋沖地震の被災地 岩手県大船渡市への義援金箱を設置しました

 平成23年3月11日に発生しました東北地方太平洋沖地震によって、東北地方から関東地方にかけて甚大な被害が発生しました。
 市では、銀河連邦友好都市である岩手県大船渡市被災者への義援金を募っております。
 当館におきましても、館内に義援金箱を設置しました。
 皆様方の温かいご支援をお願いいたします。 
 

施設概要

五郎兵衛記念館は、江戸時代初期に私財を投じて五郎兵衛用水を開削し、五郎兵衛新田を開発した、市川五郎兵衛真親(さねちか)翁の開拓の偉業を顕彰し、関係資料を整理保管するとともに、学術研究に寄与することを目的として、昭和48年に開館しました。 

五郎兵衛新田村に関する古文書約3万点と周辺地域の古文書約3万点を収蔵し、その一部を展示しています。また、関係の農具なども展示しています。

          展示室                 五郎兵衛用水地形模型
  

市川五郎兵衛 (1571-1665)

市川五郎兵衛真親(さねちか)は、戦国時代の元亀2年(1571)ころに、上野国甘楽郡羽沢村(現:群馬県南牧村)に生まれました。市川家は羽沢村を本拠地とする土豪の家で、五郎兵衛が生まれたころは、甲斐国の武田家につかえていました。

ところが、五郎兵衛が生まれてまもない天正元年(1573)に武田信玄が死去し、さらにその9年後には、信玄の子勝頼も織田信長・徳川家康に攻められ自殺し、武田家は滅びてしまいます。これによって市川家は主を失ってしまいますが、それを見た徳川家康から仕官の誘いがあったと伝えられています。しかし、市川家はその誘いをことわり、代わりに家康から鉱山開発・新田開発をしてよろしいという「朱印状」をもらいました。文禄2年(1593)12月のことでした。五郎兵衛は、この「朱印状」を根拠にして砥沢村(現:南牧村)で砥石山の経営を行うとともに、信州佐久地方へやってきて、新田開発を行いました。

佐久地方へやってきた五郎兵衛は、まず三河田新田・市村新田(ともに現:佐久市)を開発し、ついで五郎兵衛新田(現:佐久市)の開発にとりかかりました。そのために寛永3年(1626)12月、当時この地方一帯を支配していた小諸藩から「開発許可状」をもらい、蓼科山の山中の湧水を水源とし、その水を春日村地先で取水し、そこから約20キロメートルの用水路を開削して矢嶋原(のちの五郎兵衛新田)まで引いてきました。そして、この用水を基に五郎兵衛新田を開発しました。用水路が完成したのは、寛永8年(1631)ころと推定されています。

こうした功績が認められて五郎兵衛は、寛永19年(1642)に小諸藩から、150石の土地を褒美領として与えられています。しかし、新田開発に寄せる五郎兵衛の情熱はその後も衰えなかったようで、さらに御牧原を開発しようとしていたと伝えられています。しかし、それは実現しませんでした。そして五郎兵衛は、94歳という長寿をまっとうし、寛文5年(1665)9月9日にこの地で死去します。なきがらは、遺言で村内の高台に葬られ、現在も五郎兵衛新田を見守っています。
 

利用案内

 開館時間
 
午前9時~午後5時 

 観覧料
 無料

 休館日
 毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
  祝日の翌日(土・日・祝日にあたる場合は開館)
  年末年始(12月29日~1月3日)

 開館カレンダー

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(赤字は休館日です)


アクセス

車でのアクセス

上信越自動車道

佐久I.Cから約25分
小諸I.Cから約30分

中央自動車道

須玉I.Cから約2時間20分
 

 

最寄り駅からのアクセス

JR長野新幹線またはJR小海線 佐久平駅から車で約20分
JR小海線 中込駅から車で約20分
しなの鉄道 小諸駅から車で約25分

お問い合わせ先

佐久市五郎兵衛記念館
〒384-2104 長野県佐久市甲14-1
電話・FAX 0267-58-3118
mail gorobei@city.saku.nagano.jp

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