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大船渡市での災害救援派遣活動報告

更新日:2015年2月2日

大船渡市での災害救援活動を行った派遣隊の活動状況、被災地の状況等を速報します。

【第4班】

 派遣日程 3月24日~3月29日

 派遣スタッフ 医師2人、看護師3人、保健師2人、理学療法士1人、職員3人 計11人

午前中は赤崎地区の避難所の一つである漁村センター内の診療所で診察し、午後からは宿、後の入、大洞、蛸ノ浦、長崎の各避難所を回りました。時々、診療所に来れない方からの依頼で自宅へ往診にも行きました。

3月末でしたが、まだ小雪がぱらついており寒い日が続いていました。

津波でどこからか流されてきたガスタンクがガス漏れをおこしており、ガス抜きなどの撤去作業が進められていました。

海岸沿いでは大型の漁船が何隻も堤防を越えて打ち上げられている光景を目にしました。

吉浜センターにて、小児診療を行っている様子です。
机の上に座布団を敷き、簡易ベッドをつくり、診療を行いました。

小児診療において問診を取っている様子です。
風邪やアレルギーのお子さんや乳児健診を受けられなかったお子さんなど様々な方が訪れました。

全体ミーティングの際に医療班活動状況表を見て、翌日の活動予定を確認している様子です。

大船渡市内で活動している医療班が集まり全体ミーティングをしている様子です。毎日18時から大船渡市の保健師が中心となり、それぞれの医療班の活動状況や、病院・診療所・薬局の開業状況の確認等をしていました。

連日、全国各地より届けられる救援物資を一時保管先である小学校に搬入し仕分けされ各避難所へと届けられます。現在保管場所はこの時点で7つ目とのことです。連日来てくれる現地の若いボランティアスタッフには心を打たれます。

【第3班】

 派遣日程 3月20日~3月24日

 派遣スタッフ 医師2人、看護師2人、臨床検査技師1人、保健師3人、職員2人 計10人

赤崎地区の漁村センター避難所の屋外の様子です。左奥の緑色の屋根は保育園で、この時は食品貯蔵庫として使われていました。

漁村センターの広場に降りた米軍のヘリコプターから、救援物資を運び出す様子です。軽トラック1台分の水や食糧を受け取っていました。2~3日に2機来てくれるそうです。

3月23日に避難所の広場で中学校の卒業式が行われていた。卒業証書を受けとった中学生たちの中には、涙ぐむ姿もみられた。

赤崎地区の蛸ノ浦(たこのうら)の避難所内に設けた診療所。一室の一部を借り診療している様子です。

赤崎地区の大洞(おおほら)の避難所に設置された診療所。この日は小雪がちらつく寒い日でしたが、テントの中で診察を行いました。

赤崎地区の長崎(ながさき)公民館避難所内の診療所。赤崎地区でも内でも一番南端にある避難所。

赤崎地区の被災地は、がれきを少しずつ取り除き、とりあえず道を確保する作業が始まっていた。日を追うごとに新しい道が通れるようになっていた。

津波で、ぐちゃぐちゃになった線路敷。柵のように立っているのは枕木です。

たまたま、隣市である陸前高田市へ行く機会があり、そのとき撮影した写真です。津波で全てのものが流され、全く何もないような状況でした。かろうじて道が残っていましたが、所々分断されて通行できませんでした。

【第2班】

 派遣日程 3月17日~3月20日

 派遣スタッフ 医師2人、看護師2人、保健師2人、社会福祉士1人、職員3人 計10人

第2班は17日、午後7時に現地に到着。早速、戸田公明大船渡市長に支援物資目録を手渡しました。

現地ボランティアの手によって降ろされる佐久市の支援物資、その日のうちから各避難所へ配送された。

地震発生から1週間後の18日午後2時46分、津波を知らせるサイレンが鳴り響いた。1分間の黙祷。作業の手を止めたボランティアからすすり泣く声が聞こえた。

1日3回物資集積所から各避難所へ食料を中心とした支援物資が運ばれていた。悪路が多いためか運搬には自衛隊の車両が目立つ。

第1班から引き続き、赤崎地区の避難所(右上高台の白い建物)に診療所を開設。目の前には津波の爪痕が生々しく残る。ライフラインはまだ復旧していない。20日からは避難所に衛星携帯電話が設置され、連絡を取る被災者の声が弾む。携帯電話も少しづつつながり始めた。

高台にある避難所から見た被災地。津波は赤崎小学校校舎(右側)の2階部分まで達したことがはっきりと見て取れた。一帯は瓦礫に囲まれたままの状態。気の遠くなるような撤去作業が想像される。

佐久市医療チームが担当した診療所では1日あたり70名程が受診。多くの皆さんから感謝の言葉をいただき、時には励まされることも。胸が詰まる思い。

防波堤が破壊され、海水に浸水された道路。小規模避難所への往診には瓦礫に囲まれた危険な道を通う日が続いた。

佐久市救護隊の宿舎もライフラインは不通。薄暗いランプの明りの中で医療チームによるミーティングが毎晩行われた。携帯電話もほとんど使用不可。連絡は持ち込んだ衛星携帯電話で行う。

【第1班】

派遣日程 3月14日~3月17日

派遣スタッフ 医師2人、看護師2人、保健師3人、職員3人 計10人

3月14日、pm9時大船渡市役所に到着し、早速大船渡市長と会談。佐久市10万市民の思いを乗せた支援物資目録を手渡すとともに、大船渡市内の被災状況を確認。

大船渡市役所ホールには情報掲示板が設けられ、安否を確認する市民で、昼夜ごったがえしていた。

3月14日、大船渡市到着初日、宿舎でのミーティング。うす暗いランプの下で、まずは大船渡市内の地形や道路網を確認。

夜が明け、佐久市医療チームが受け持つことになった赤崎地区の避難所へ出発。壊滅状態の赤崎地区の様子に、一同、言葉を失った。

避難所の往診では、がれきが残る危険な道を往復することとなるが、医療班のチームの車がクギを踏み、あえなくパンク。地元の皆さんにも助けられながらスペアタイヤにはき替えた。

赤崎地区の避難所となっている漁村センター内に、佐久市医療救護班の診療所を開設。以後、多くの皆さんが健康相談に訪れた。

佐久市からの支援物資は、銀河連邦の仲間である大船渡市、能代市の職員らの手も借りながら、25tトラックから無事下された。

被災から数日後、地元自主防災組織により、お手製のお風呂が完成。久しぶりの入浴に笑顔もこぼれた。

3月17日夜、栁田佐久市長と、戸田大船渡市長が、衛星電話により会談。戸田市長からは、佐久市からの支援に対し、感謝のことばが述べられた。

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