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平成29年度 佐久市ふるさと創生人材育成事業 中学生海外研修(エストニア共和国)報告

更新日:2017年9月7日

平成29年度 中学生海外研修(エストニア共和国)研修報告 引率団長 木内 雅弘 

1 研修の概要

(1)目的

次世代を担う青少年の人材育成事業の一環として、市内に在住する中学生が、佐久市と友好都市協定を締結しているサク市のあるエストニア共和国を訪問し、同世代の生徒との交流、景勝地や首都タリン・第2の都市タルトゥの視察、及び一般家庭でのホームステイを通して、歴史や風土・文化・生活習慣の違いを学ぶとともに、日本語の通じない相手に対して意思疎通するための英会話や動作によるコミュニケーション力を高め、相互理解を深め、国際的視野を広げる。

(2)日程

平成29年7月29日(土曜日)から平成29年8月5日(土曜日)までの8日間

(3)研修地

エストニア共和国
・サク市(サク郡):キャンプ場、市役所・ギムナジウム学校・クルトナ学校訪問、一般家庭(ホームステイ)
・タリン市:在エストニア日本国大使館、旧市街地
・タルトゥ市:AHHAAサイエンスセンター、市街地
・ラヘマー国立公園ヴィル湿原 他

(4)参加者

研修生:市内中学生8名(1年生4名・2年生3名・3年生1名)
引率者:2名(佐久市教育委員会事務局職員)
添乗員:1名(日本旅行佐久平サービス)

2 事前研修

6月6日から原則として毎週火曜日の午後7時から9回の事前研修を行った。親と一緒の顔合わせから始まり、研修生としての心構え、英会話、エストニア共和国についての学習、パスポート取得や飛行機での荷物制限等の海外旅行の基礎知識の習得、現地での代表あいさつ等の役割分担決めや佐久市紹介の英文での原稿作成と練習、さらには皆で披露するダンスの練習と、本研修に備えた。
エストニア共和国への海外研修は初めてであり、国の様子がよくわからない状態ではあったが、在エストニア共和国日本国大使館の前大使である甲斐哲朗氏に来ていただき話を聞くことができたことで多少安心ができた。
研修生のこの研修にかける思いはそれぞれで、また、海外で暮らしたことがある者から初めて飛行機に乗る者まで様々であり、期待と不安が入り混じっていた状況の中、あいさつ文や英語での佐久市紹介文の作成、ホームステイ先との電子メールの交換やダンスの練習など学校生活とは別に忙しい日々を過ごした。
7月22日の壮行会では、市長や教育長、人材育成事業実行委員長、保護者等大勢のいる前で、「研修への思い」の発表とダンス「千本桜」の披露を堂々と行うことができた。

第1日目 7月29日(土曜日)

午前5時45分、佐久平駅に集合。出発式でのあいさつをそれなりにこなし、始発の新幹線でいざ出発。不安な面持ちの親とは対照的に、大きな期待を胸に皆元気に出かけることができた。この日は旅行気分で浮かれているような状況であったが、この先、言葉も文化も異なる地で元気に過ごせるのか、引率者としては一抹の不安を抱えての出発となった。
上野駅から京成スカイライナーに乗り換え、成田空港へ。添乗員の案内のもと、あらかじめ送っておいた荷物の受け取り、機内へのスーツケースの預け入れ、円からユーロへの両替、ボディチェック等の飛行機への搭乗手続きなどなど、2時間以上かかる中、概ね滞りなく終えた。電車や飛行機のチケットがすぐに取り出せなかったり本や菓子の購入に時間を使ったり・・・はあったが。
飛行機はフィンランド航空で、まずはフィンランドのヘルシンキ空港まで。飛行機に乗ること、機内での文字やアナウンスに英語が使われることで、ようやく海外に行く気分になってきたようである。英語で食事や飲み物を聞かれ、事前研修で学んだことを思い出しながら何とか対応していた。もっとも行きの機内では、日本語のアナウンスもあり、話のできるスタッフもいたのであまり困らない状況であった。
片道約10時間の長旅で、機内は照明が落とされることもあり、研修生は映画を見たり眠ったり菓子を食べたりで静かに時間を過ごした。
ヘルシンキ空港で飛行機を乗り換え。ここはヨーロッパのハブ空港で大きな空港である。移動はバスを利用。空港施設内でエストニア共和国への入国手続きを行った。乗り換えまで時間が短く混雑する中での早足での集団移動であったが、無事乗り換えができた。ここまでの飛行機の中で時計を無くしたという小さな事故はあったが。(その後、彼はエストニアで時計を購入した。)乗り換えた飛行機は小型のプロペラ機で飛行音が大きく揺れも大きかったが、研修生はぐっすりと眠った。
いよいよエストニア共和国へ。飛行機からはタラップで降り、「総理大臣みたい」との研修生の発言も頷ける。旅行気分の楽しそうな顔は継続したままである。
到着は現地時刻で午後5時30分。最初の印象は「暑い。」とのこと。朝早く佐久市を出たせいか、確かに蒸し暑い。太陽はまだ高く、日本の昼下がりの一番暑い時間という感覚である。日本との時差はこの時期6時間で、皆の持っている時計の針は午後11時30分を指していた。自然と皆の顔から笑いが漏れる。
荷物を受け取り到着ロビーに出ると日本語で「いらっしゃい」の文字。そして大きな声で「いらっしゃい」。これから交流する中高生16名が迎えてくれたのである。自分を含め、皆一様に驚きを隠せず、無言。現地通訳の西角あかね氏が声をかけてくれるまで何が起きているのか理解できなかったのだ。歓迎されていることを実感するできごとだった。面識のある副団長だけは再会に喜んでいた。
早速、皆でバスに乗りサク市のキャンプ場へ。空港のあるタリンの市街地を抜けると森と牧草地だけの景色となる。山はなく360度地平線である。
南方へ20分ほどでキャンプ場へ到着。宿泊棟には両国の国旗が飾られていて、ここでも歓迎されていることを感じられた。サク市の中高生は、昨年佐久市を訪れた研修生と、今年の10月に佐久市を訪れる予定の子ども達。引率は学校の先生と青少年センターの職員の4名で、約1週間一緒に過ごすことになる。
夕食まで1時間ほど時間があるとのことで、研修生たちはサク市の子どもたちに誘われ屋外でバレーボールを行った。言葉は通じなくてもスポーツのルールは万国共通、自然に楽しんでいた。
食堂での夕食には、何と「ごはん」が登場していた。気を遣ってくれていることに感謝である。
夕食後、集会室でお互いの名前を覚えるためのネームゲーム。言葉が通じないことの不安と恥ずかしさからか、研修生は緊張した顔つきである。長旅の疲れを気にしてか、ゲームは30分程度で切り上げ解散。しかし、大人の気を知ってか知らずか、子どもたちはまた外へ。日の沈み始める9時30分過ぎまでバレーボールに興じていた。
宿泊棟では原則として国別の男女別の部屋割りであったが両国で同じ部屋もあり、早速トランプを一緒に始めていた。ゲームはババ抜き。片言の英語であるがすぐにルールを覚えたようである。
シャワーを浴びたり(風呂は無い。)騒いだりで午後12時。疲れ知らずの研修生たちは、引率に促されようやくベッドへ。佐久市を出発してから実質24時間経過。こうして長い長い第1日目が終了した。

第2日目 7月30日(日曜日)

朝食は9時。起こされることもなく個々に食堂へ。キャンプ場の食事は、パン(白いパンと現地ならではの黒パンを選べる。)、ハム、チーズ、牛乳を基本に、米または麦のお粥(ジャムをつける)、郷土食であるカマ(小麦や大豆等の粉でできたもの。夏のデザートとして使用されている。レストランでも頻繁に登場した。)である。朝食にはコーンフレーク等のシリアルが毎日、キュウリやリンゴが出されることもあった。
天気が良く、食後は皆で外に出てゲーム。まずはダンスでアイスブレイク。大きな声と不思議な(変な?)ダンスで緊張はそれなりに解かれる。ジェスチャーゲームの後、昨晩の続きのネームゲーム。バレーボールのように2組に分かれ、相手側が見えないようにネットの代わりに布を張り、一人ずつ向かい合ったところで布を落とす。向かい合った相手の名前を先に叫んだ方が勝ちというもの。名前を覚えなければ勝負にならないので、サク市16人に対し佐久市8人の状況は佐久市の研修生には不利でしたが、後半には随分勝てるようになった。ただ、同じ佐久市同士で名前が出てこないことも幾度かあった。
日本でいう「フルーツバスケット」「だるまさんが転んだ」「かくれんぼ」も経験。「だるまさんが転んだ」はエストニア語で「ニシン、1、2、3」と言う。「かくれんぼ」は「缶けり」に近いなど、多少ルールは異なるが、皆あまり違和感なくゲームを楽しんだ。
昼食後はバスで1時間近く真東へ移動し、ラヘマー国立公園のヴィル湿原を見学。公園は海沿いに広がり、森林、湖、湿原、川が多い。ヴィル湿原では木で整備された遊歩道を2~3kmほど歩く。湿原の中はところどころに池があり、苔・シダ類が多く、木はハイマツのような木ばかりであるが、研修生たちは展望台で周りを見渡しただけでひたすら歩いていた。公園の外では木の実を採ることは自由とのことで、自生しているブルーベリー(現地ではビルベリーと呼び、浅間山麓で自生する浅間ベリーとよく似ている。)をつまんで食べた。
途中、池の前でサク市の子どもたちと引率の先生が突然服を脱ぎだす。中に着込んでいた水着になり、次々と池に飛び込んでいった。ここの水はやや茶色かかっており、「お肌にいい」とのことであるが、日本人はあっけにとられるばかりであった。着替えを持っていた佐久市の研修生1人もチャレンジ。「水が冷たい。寒い。」これが感想である。夏が短いエストニアの人々にとって日光を浴びることは重要なことであり、基本的に肌の露出も高い。湖水浴もこの延長かと考えるところであるが、現地通訳者も驚いていた。
湿原見学の後、時間に余裕があったため現地通訳者の計らいで近くのヤガラの滝を見学、記念撮影。落差は約8m、幅が約50mとこの国最大で「エストニアのナイヤガラの滝」と呼ばれることも。冬にはすべて凍ってしまうとのことで結氷した滝も見てみたいと思うと同時に、山のないこの国において滝が見られることに不思議さを感じた。
夕食までの間、宿泊棟でパラコートブレスレッド作り。長いひもでブレスレッドを編むものである。サク市の子どもたちに教わりながら、短時間にもかかわらず手先が器用な研修生は2本編み終えていた。
夕食後、研修生(引率団長も含む)は再び緊張の中に突入した。文化交流会が行われ、佐久市の研修生は、佐久市について個々の選んだテーマを英語で紹介発表すること、「君が代」を歌うこと、そして「千本桜」のダンス披露をすること。慣れない英語での発表は早口と小さな声でなかなか上手に伝えられなかったが、歌とダンスは自信たっぷり。練習の成果が表れました。その後は、エストニアの紹介ビデオ鑑賞、サク市の子どもたちとクイズゲームやいす取りゲーム、民族色のあるフォークダンス。郷土菓子をいただきながら色紙で鶴を折る子も。最後は最近覚え始めたという「恋ダンス」で一緒にダンシング。午後10時を回るまで和気あいあいと過ごした。

第3日目 7月31日(月曜日)

朝からタリン市街へ。この日はアメリカ合衆国の副大統領が来訪するとのことで厳重警備等が心配されたが、現地では平常どおりのようであった。
まずは在エストニア日本国大使館を表敬訪問。厳重なチェックを抜けて大使公室へ。柳沢陽子特命全権大使と篠塚榮男1等書記官に対応していただいた。大使は、歓迎の言葉と共に、この研修の意義や期待について研修生に話された。また、エストニア共和国についての歴史、音楽やIT技術等の特徴についても話された。研修生は、大使からこの研修への動機を聞かれ、緊張しながらそれぞれの思いを語った。原稿はなかったが、皆きちんと話すことができ、目的意識をしっかり持って研修に臨んだということだろう。
現地通訳者の案内により旧市街地を散策する。石灰岩で築かれた城壁やレンガ調の外壁等、中世の趣を残す景観に、いかにもヨーロッパらしさを感じる。250段の階段を上る展望塔からの眺めは壮観である。この日は自由時間は作らず、初めてのユーロでの買い物を多少行う程度にとどめた。突然雷鳴がして5分程度、エストニアでの初めての雨となった。教会の好意により一角を借りて昼食をとった。
バスに乗りサク市役所を訪問する。サク市長からは歓迎の言葉と、これからも子ども同士連絡を取り合うこと、「今後は長期の留学に来てほしい」と期待される。研修生は前日に行った佐久市についての英語紹介を発表した。今回は堂々と発表ができた。記念品を皆それぞれにいただいた。なお、併設の図書館には、日本人形等のこれまでの佐久市からの土産品が並べられていた。
続いて建物内の青少年センター(ユースセンター)を視察見学、職員及び利用している中学生から説明を受ける。ここの職員2名がサク市側の引率者として今回の交流に参加しているとともに、今年10月の日本訪問の引率者となる予定である。この施設は子ども(7~20歳)なら誰でも利用することができ、キックスケーターや卓球台等が置いてある。平日のみで、放課後に1日10~20人利用されているとのこと。
バスで移動し、次はギムナジウム学校へ。サク市内の子どもたちは主にギムナジウム学校かクルトナ学校のどちらかに通う。今回交流している中高生もいずれかの生徒であり、引率者もそれぞれの先生である。学校は6月から8月まで長期休暇中であり、他の生徒に会うことはなかった。ギムナジウム学校では校長先生に施設を案内してもらった。この学校は小中高の一貫校で7~18歳までの子ども、約1,100人が通っている。1クラス30人前後で、5年生からは教科ごとの教室で勉強をする。IT大国らしく各教室とも電子黒板を大いに利用しているそうだが、タブレット端末を利用することはあまり多くないとのことである。生徒の美術作品が多く飾られ、力が入れられているようであり、研修生も参加して絵の具を用いた記念の作品を1つ残させてもらった。
キャンプ場への帰り道、スーパーマーケットで買い物体験。研修生たちは菓子、ジュースを中心に食べきれないと思うほど大量に買い込んでいた。生ハムを買った者、18歳未満のため買えない物(栄養ドリンクで日本では購入可能な物)を購入しようとする者もあった。
子どもたちをキャンプ場に残し、引率の大人たちはホテルでの夕食会へ。サク市長の招待で、市議会議長や学校長、在日本エストニア大使館の前大使、サク市出身の財務省の方と、柳沢大使、篠塚書記官等のそうそうたるメンバーであった。引率者としては本研修中で最も緊張する時間である。昨年の日本での子ども交流の様子のスライド投影がある中での夕食会であった。通訳はあるものの、英語ができると会話もはずませることができるだろうとつくづく思う。

第4日目 8月1日(火曜日)

いつもより1時間早い8時に始まった朝食には、おやつのサンドウィッチ用にとキュウリとトマトのスライスが提供されていた。この日は片道3時間かけての旅である。
目的地タルトゥへの道のりは、ひたすら牧草地と林ばかりの地平線しか見えないところで、1軒1軒の家も離れ、しばらく見ていると飽きてきてしまう。2、3回コウノトリの集団と出会い、ヘラジカへの注意看板を時々見かけると、自然が豊かなのだと実感する。ただし、研修生たちはトランプ(大貧民)をやったり英語で会話したり眠ったりで、外の景色には興味ないようであった。
タルトゥは、エストニア共和国第2の都市である。まずAHHAAサイエンスセンターを見学した。この施設は、佐久市にある子ども未来館の規模を大きくしたような体験型の科学館である。施設の中は自由行動としたが、日本人だけで行動しないことを条件とした。研修生にとっては「遊び」として楽しんでいた。施設内では人体のコーナーが充実していて、内臓や胎児の実物標本やそっくりなレプリカの存在は際立っていた。
昼食後は市街地へ。民族衣装を纏った現地ガイドから、タルトゥの歴史や学生の街であることの説明を受けた。医者や大学の医学部の話が随所に登場し、サイエンスセンターでの人体コーナーの充実ぶりからも医学に秀でた街であることが想像できた。タリンと同様に異国情緒あふれる建物ばかりで研修生は目移りしていた。タリンもそうだが、傾いた建物やくずれかかった教会がそのまま残っており、入ったり近づけたりすることは地震のある国に住む日本人には意外だろう。
説明の後は1時間ほど自由行動。ここでも日本人だけで行動しないことを条件とした。特に問題も起きず、土産を買いこんだり写真を撮ったりしていた。
現地での夕食後、キャンプ場へ。到着は午後11時30分だった。

第5日目 8月2日(水曜日)

キャンプ場最後の朝。最後に全員で、2日目に踊った不思議なダンス(フランスの漁師による大漁を喜ぶ踊りらしい。)を踊った後、荷造りと片づけに大わらわ。忘れ物がないかは引率も見回ったが、スーツケースの中の状態はすごいことになっているだろうと想像される。
いよいよ各自ホームステイを過ごすホストファミリーの家へ。ホストファミリーは昨年日本へ来た中高生の家族であり、この日まで子ども同士一緒に過ごしたためか、研修生たちは不安を感じさせずに楽しそうにそれぞれの迎えの車に乗り込んでいった。迎えが最後になった研修生だけは不安そうな顔つきとなったが、1人でホームステイする不安というより取り残されたという不安であったことが、後で再会した時の表情から読み取れた。1泊2日のホームステイ、引率者としては不安いっぱいである。
研修生と別れた引率者は、まずチーズ工場の見学。工場というより農場であり、牛(ホルスタイン)の飼育を行い、搾乳からチーズの加工・出荷を行っている。生まれたばかりの子牛もいて、酪農も本格的であることが理解できる。観光地ともなっており、早速研修生とそのホストファミリーと出会った。
続いて3日目とは別のユースセンターを見学した。ここは農村部にあり、公民館的な要素が強く幼児から高齢者まで利用できる施設である。
昼食後はタリン市街地を散策し、路線バスに乗車しサク市のホテルへ。荷物を預け、今度はクルトナ学校を訪問。ここではホストファミリーと一緒に研修生も集合し交流会と夕食会が催された。サク市長も同席した。この日から現地通訳者がマリア氏になった。
まずはサク市長と校長先生からあいさつ。研修生からは、歌「ふるさと」とダンス「千本桜」。ダンスは研修生から「やりたい。」と希望があったくらい自信たっぷりに踊り切った。また、研修生のピアノ演奏とサク市の中学生のマンドリン演奏もあり、さらに「恋ダンス」を皆で披露。仲良くなったものです。この日までに撮った写真も披露され、皆それぞれに思い出していた。
夕食はクルトナ学校で準備した大きなケーキと料理、及びホストファミリーが用意した伝統菓子などなど、食べきれないほどの量である。食べきれない量を出して接待する中華料理と同じような文化らしい。ケーキの上に飾られた花火の着火に自分も参加させてもらった。
夕食後は校長先生による学校案内。クルトナ学校は幼小中の一貫校で、330人くらい。そのうち小中学生は200人くらいが通っていて、1クラス26人が最高。ギムナジウム学校と同様に技術科室と家庭科室はしっかりと案内を受けた。両学校とも力を入れているようである。技術科室には3Dプリンターがあり、記念にキーホルダーをもらった。学校では、携帯電話やスマートフォンの幼児からの長時間使用が日本と同様に問題になっており、最近学校内の使用を禁止したとのことである。学校内の水槽にはフナが飼育されており、海に近い地域で、しかもフナというのは不思議な感覚を覚えた。
学校での最後は「桂」の木の植樹。市長も合わせ全ての参加者による記念である。大きくなった木を見たいものである。
研修生はそれぞれのホストファミリーの家へ、引率者はサク市内のホテルへ戻った。

第6日目 8月3日(木曜日)

研修生は夕方までホストファミリーと過ごす。海へ行った者、動物園へ行った者、買い物をした者、いろいろであったようである。
引率者はタリン市内で日本庭園と飛行艇埠頭を、それぞれの管理者より説明を受けながら視察した。日本庭園はエストニア共和国に多くある緑豊かな公園のひとつ、カドリオルグ公園内にあり、京都で造園業を営んでいる曽根将郎氏のデザインである。平成11年にオープンし、池や川、御影石の橋、シャクナゲやアイリス等の日本の植物や大きな石を配置している。飛行艇博埠頭は飛行艇の格納庫を利用した博物館と屋外の船を見学でき、大きな館内では潜水艦の実物や歴史的船舶、小型飛行機やヘリコプターが展示されていた。昼食はタリン市街で美味しいと評判の菓子店。片栗粉で作られた菓子マジパンの色付け体験後にパスタとデザートケーキを食す。
夕方、研修生とサク市役所の庭に集合して最後のお別れ会。市長やクルトナ学校の校長先生も同席した。ホストファミリーも温かい目で見守ってくれ、中には涙を流す母親もいて、研修生もホームステイを無事こなしたことがうかがえる。ここまでずっと一緒だったサク市の子どもたち、もしかしたら2度と会えないかもしれないと、皆別れを惜しんでいた。「もう1度来たい。」と皆感じたことだろう。最後は1人ひとりとハグでお別れ。日本とは異なることを実感した。
エストニアでの最後の夜はタリン市街。泊まるホテルは外国人旅行客がよく利用するホテルとのことで、日本人の団体客とも遭遇した。自分たち以外の久々の日本語であった。研修生はホテル宿泊も経験が少なく、カードキーの使用方法から戸惑っていた。2人部屋であり、翌朝、自分たちで起きてこられるのか不安なためモーニングコールを依頼した。ホテル内にはプールとトレーニングジムがあり、体力の余っていた研修生はジムで汗を流していた。なお、現地通訳者は再び西角氏となる。
夕食は近くのレストランで、サク市の子どもや先生のいない初めての食事である。別れた寂しさもあっただろうが、緊張が解けたためかゆったりと和やかな夕食だった。エストニア日本大使館の元職員タイミ・パヴェス氏(日本にも滞在したことがあり、佐久市との交流に協力をいただいていた方)にも同席していただき、研修生と懇談ができた。エストニアに留学するにはどうしたらよいかと聞く研修生もいた。屋外に面したレストランであったため、外の様子もよく見え、相変わらず午後8時を過ぎても明るい状況に不思議な気分となる。子どもがまだ遊んでいて、日本での「普通の夕方」の情景である。けん玉遊びをしていた若者がいて少々驚いたが。

第7日目 8月4日(金曜日)

予想どおり予定時刻に起きられない研修生はいたが、朝食のバイキング料理を1時間以上ゆっくりとかけて食べ、慌ただしく荷造りをした。エストニア共和国での最後の日である。
この日は朝から雨。初めて雨らしい雨に会った。ここまで天候に恵まれたことは喜ばしいことである。別れを惜しんでの「涙雨」というには少々強い雨であり、ホテルを出てすぐに傘を購入した研修生もいた。
まずは旧市街地で最後の買い物をした。露店の多い広場で自由行動としたが、研修生たちはもう慣れたものであり、1人で行動する者もいた。初めてのタリンは、見知らぬ国で見知らぬ人で賑わっている街であったが、この日は堂々としたものである。死神の絵画で有名な美術館で鑑賞、古本屋で立ち読み、城壁の上で展望する等、希望者ごとに行動もした。持ってきたお金を土産と飲食に使い果たした研修生は、観覧料のかかる美術館や城壁は遠慮せざるを得なかったが。途中で雨もやみ、レストランで昼食。メニューに日本語の記載があり、日本人客の利用も少なくないようである。実際に、ホテルで見かけた日本人旅行客と一緒になった。
いよいよ帰国するため空港へ。何人かのサク市の子どもたちが見送りに来てくれていた。最後の最後までうれしいことである。飛行機搭乗への荷物と身体チェックは厳しく長い時間を要したが無事出国となった。ヘルシンキ空港までの機内は、ここでも日本人旅行客は多く、日本語が飛び交っていた。ホテルとは別団体で、ヘルシンキ空港を経由してさらに別の国に旅行するそうである。
ヘルシンキ空港では日本語もかなり通じるようで、初日に来た時も日本語で案内され、この日も日本人と思われる職員がカウンターで案内をしていた。空港内アナウンスも日本人によると思われる日本語を聞くことができた。
ヘルシンキ空港からは一路日本へ。午後6時前の出発便で、またまた10時間の旅。この日は機中泊である。日本時間で朝9時頃の成田空港着とのことで夜を徹しての飛行であり、星を眺めることができるかと美しい夕日を見ながら思っていたが、太陽はそのまま朝日となり、暗くなることは1度もなかった。機内は照明を落としていたので研修生は眠ることが多いようだった。

第8日目最終日 8月5日(土曜日)

日本に到着。税関チェック、機内に預けた荷物の受け取り、荷物の入れ替えと宅急便での荷物送付、円への両替等々、ひととおりの手続きを踏み、「日本は暑い。」と嘆きながら、出発した時と反対に京成スカイライナー、北陸新幹線を乗り継いで、ついに佐久平駅に到着。家族、実行委員長、教育委員会職員に迎えられて帰着式に臨む。家族を始め一様にほっとした表情である。「帰ってきた。」と実感した瞬間であった。
こうしてエストニア共和国への海外研修は終了した。

帰着式の写真

最後に

滞りなく研修を行い無事に帰国できたことは、市、市教育委員会、実行委員の方々、事前研修での英会話やエストニア共和国についての学習講師の協力、保護者の方々の理解と協力、そして、サク市の方々の至れり尽くせりの対応のおかげである。すべてに「感謝」する。研修生たちの「まだ帰りたくない。」「また来たい。」との言葉がすべてを物語っている。この研修で学んだこと、経験が、研修生の今後の更なる成長の糧になることを期待する。

日本とエストニアの研修生がキャンプで撮った集合写真

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