平成30年度 佐久市ふるさと創生人材育成事業 中学生海外研修(エストニア共和国)報告
更新日:2022年3月24日
平成30年度 中学生海外研修(エストニア共和国)報告 引率団長 篠原 秀則
~あなたが、今まく種はやがて、あなたの未来となって現れる~
(マルティ・レヘマー サク市長の交流会挨拶での主旨)
1 研修の概要
(1)目的
次世代を担う市内に在住する中学生が、佐久市と友好都市協定を締結しているエストニア共和国サク市を訪問し、同世代との交流、世界文化遺産の旧タリン市街地を見聞及びホームステイを通して、歴史・文化・生活習慣の違いを「五感を研ぎ澄まして体感」するとともに、意思疎通を図るコミュニケーション力を高めて国際的視野を広げることを目指す。
(2)日程
平成30年7月30日(月曜日)から平成30年8月6日(月曜日)までの8日間
(3)研修地
エストニア共和国
- サク市(サク郡):キャンプ場、市役所・ギムナジウム学校・クルトナ学校訪問、一般家庭(ホームステイ)
- タリン市:在エストニア日本国大使館、旧市街地
- ラクヴェレ市:ラクヴェレ城
- ラヘマー国立公園ヴィル湿原 他
(4)参加者
研修生:市内中学生8名(1年生2名・2年生2名・3年生4名)
引率者:2名(佐久市教育委員会事務局職員)
添乗員:1名(日本旅行佐久平サービス)
2 事前研修
初めての顔合わせ、学校も学年も異なる8名の研修生。毎週火曜日の午後7時から9時までの計9回の事前研修を行った。
時間はあるようだが、この期間で英会話や英文による佐久市の紹介、それぞれの場面で挨拶を行う役割、そして交流会用の歌や踊りでパフォーマンスを披露しなければならない。これらは、研修生がエストニア共和国において自分の言葉で発表するものであるから、かなり緊張するものであろう。
研修生は、実時間が少ない中で淡々とそれらをこなし、形にしていかなければならない。壮行会では、緊張のなかでも、海外研修の参加動機や目標を教育長、実行委員長、保護者等の前で堂々と発表した。モチベーションはさらに高まってきたに違いない。
3 本研修 第1日目 7月30日(月曜日)
出発式での励ましの言葉を胸に、新幹線に乗り込む。上野駅で京成スカイライナーに乗り換え成田空港までは生徒同士で談笑をし、不安は無さそうだが、、、。
成田空港に着き、いよいよ海外渡航の手続き。予め送っておいたスーツケースの受け取りやユーロへの両替、搭乗手続きを生徒自身が行う。保安検査(金属探知機)でいきなりのブザー、ベルトを外し再チャレンジ!慣れない事ばかりで、戸惑いながらも全て自らの力で体験する第1歩。何とか無事に通過し、予定通りの飛行機に搭乗することができた。
搭乗機はフィンランド航空で、食事や飲み物の機内サービスは英語。さあ、事前研修の成果を示せ!生徒は希望する飲み物等の注文を各自が英語で行う。本当に飲みたかったのかは分からないが、勢いで頼んでしまうのもまた楽し。CAに聞き返される場面もあったが上手にコミュニケーションをとっていた。機内から既に海外研修が始まっているのだと感じた。片道約10時間の長旅で研修生は映画を見たりして、それなりに時間を過ごしていた。
私も例に漏れず映画を見る。阿部寛・天海祐希が出演する映画の中で「的を射た」セリフがあった。中学教師を演じる阿部寛が、生徒に対して言う「夏目漱石の言葉で未来を生きるために必要なこと、それは、『考えよ、語れ、行え』だ。君たちは・・」と。まさに、研修生がこれから始まるホームステイに向かう姿勢だ。ひとり興奮して寝られなかった。(余談)
乗り継ぎのヘルシンキに到着。ここがフィンランドか、北欧の雰囲気を感じる間もなく、エストニアへ向けての乗り継ぎとなり、プロペラ機に搭乗。さすがに音と揺れは感じるが、それよりも、もうじきエストニア国タリンに着く気分の高揚のほうが勝っていた。
現地時刻で午後5時15分ごろタリンに到着。日はまだ高い。日本との時差はこの時期6時間で、日本は午後11時15分、もう寝るころだ。だが、あと6時間先でないと夜の帳はおりない。
到着ロビーに出ると「Tere tulemast!(歓迎)、ようこそ!」の横幕が目に入る。これから交流する生徒たちが迎えてくれた。バスはサク市へではなく、東南へ50分ほどのパウンクラのキャンプ場へ到着。研修生は、長旅の疲れもなく、少し外で遊んで夕食となった。夕食時だが外は明るい。シャワーを浴び就寝時刻の午後11時ごろようやく暗くなり、ほぼ徹夜状態の長い第1日目が終了した。
第2日目 7月31日(火曜日)
朝食は9時。キャンプ場の食事は、ハム、チーズ、酸味のある黒パン。米(麦)のお粥もありジャムをつけて食す。(意外だった。)野菜は、キュウリとトマト。デザートはケーキやヨーグルトのようなものがある。シンプルな定番の朝食スタイルらしい。
さて、高緯度にある北欧のエストニア、この時期は高峰高原をイメージすればいいとのことだったが、地球規模での猛暑なのか、近年にない暑さだという。本当に暑い!(スマホでこの日6時間先の佐久市の天気を検索すると、37℃が予想されていた。)
外に出ていよいよ生徒との交流が始まる。アイスブレイクとしてのダンスや相手の名前を覚えるゲームなどコミュニケーション作りで徐々に緊張がほぐれていく。ようやく研修生にも笑顔と声が出てくる。しかしあまりの暑さで集中力が持続できないみたいだ。
昼食後は、ハンドボウ(利き手を問わず使える弓矢、アーチェリーのようなもの)で的射をする。近距離でも中心を射抜くことは難しい。炎天下で多少ばて気味、もはや水遊びしかない!水着に着替え、近くの湖に行く。ボート(足漕ぎ)などもあり、研修生のテンションも自然に上がる。ボートからワザと落ちたり、泳いだり、交流生徒も楽しんでいる。
水質は問題ないとのことだが、日本ではとても泳げる場所ではないし、注意喚起の看板が立てられるであろう。すべて自己責任ということか。危険(ハザード)の排除はもちろん、保護者の監視が前提となっているという。目に見える危険(リスク)に触れる体験を積み重ねることで、自らの対処能力を高めていく。目に見えない危険(ハザード)は大人が取り除き管理していくようだ。日本もその昔(私の幼少時代)そうであったように、この国もそういった危機管理はなされているのであろう。
夕食後、事前研修の成果が試される文化交流会が始まった。研修生は、佐久市について個々の選んだテーマを英語で紹介発表したあと、日本の歌(小さな恋の歌)とエストニアの歌(みつばちの古巣へ)、そして「オラは人気者」のダンス披露。交流生徒にも受け、練習成果が表れた。歌・踊りは万国共通のコミュニケーションツールだ。徐々にホームステイでの心の準備が整いつつある。
第3日目 8月1日(水曜日)
サク市役所を訪問する。マルティ・レヘマー市長からは歓迎の言葉と、幼保・高校生も視野に入れた広い交流を望みたいとのことであった。また、市長自らがパワーポイントで、現在サク市の人口が1万人を超えたことや佐久市を含め隣国などに7友好都市があることなどを紹介した。そのあと一人ひとりと握手をし、研修生だけでなくサク市交流生徒にも記念品を渡された。
バスで移動し、次はサク・ギムナジウム学校(小中高の一貫校で7~18歳まで、1,233人、1クラス30人前後で、5年生からは教科ごとの教室で勉強をする)を視察する。
サク市内の子どもたちは主にサク・ギムナジウム学校かクルトナ学校(幼小中校)のどちらかに通う。学校は6月から8月まで長期休暇中でありサクギムナジウム学校の案内は交流生徒が行った。
午後は、サク市近郊でチーズやヨーグルトを製造する酪農主体のエスコ牧場へ。日本との風景の違いとどこまでも続く広大な牧草地を目の当たりにし、北欧らしさを体感したことだろう。夕方、ホームステイ先に研修生をお願いし、いよいよ3日間、自分の力で全て解決しなければならない、“考えよ、語れ、行え”の実践の時がスタートした。
第4日目 8月2日(木曜日)
ホームステイ初日の感想を聞く。悪戦苦闘をしながらも意思を伝えることに頑張っているようだ。この日は、まず在エストニア日本国大使館を表敬訪問。厳重なセキュリティを抜けて大使公室へ。柳沢陽子特命全権大使と篠塚榮男1等書記官に対応していただいた。大使は、歓迎の言葉と共に、この研修の意義や研修生にかかる大きな期待について、またエストニア共和国の邦人についても話された。研修生は、大使からこの研修に参加した動機を聞かれ、緊張しながらもそれぞれの目的と思いを語った。大使自身のお話も聞き、大きな「種」をいただいたことだろう。
大使館を出て、交流生徒と現地通訳者の案内により旧市街地を散策する。バルト海の東側に位置するエストニアの首都タリン。旧市街(タリン歴史地区)は800年の時を経て今に残る。中世のおとぎの国のような街で、赤い屋根やピンク・黄色などカラフルな色の建物やお店が印象的な街だ。ユネスコ世界文化遺産にも登録されている。交流生徒と共にしばらく歩き、旧市街トームペア地区の最北端にあるパットクリ展望台に行く。テーマパークのような町並みが一望できる絶景スポットだ。
夕刻、ホストファミリー先の生徒とペアで買い物の時間をとり、ショッピングモールで買い物をする。勝手の違うレジに並び、ちょっとドキドキしながら前の人を見ながら、ユーロで精算、これも社会勉強、自信に繋がる。
第5日目 8月3日(金曜日)
昨日とは、打って変わって、研修生の口も軽い。何とか、コミュニケーションが取れてきた表れだろう。殻を打ち破りつつあるのか、楽しみだ。
午前はバスで1時間30分ほど移動し、エストニア出身力士元大関把瑠都(バルト)の出身地であるラクヴェレ市に向かう。目指すは、13世紀半ばに建てられた石造りの城、ラクヴェレ城(要塞)だ。ロシア、スウェーデン、ポーランド…と城主を変えながら度重なる戦乱の末17世紀初めに廃墟となった。修復は2004年に終了し、現在の観光施設となる。要塞の中は、ホーンテッドマンションではないが、幽霊屋敷のような設えで、アトラクションとして楽しめる。中庭では実際に研修生もかかわって調合した火薬を地面で爆破させたり、ミニ大砲に詰めて空砲に。これはかなりの音でびっくりしたのは私だけか、、、。
昼食後、約1時間のバス移動。ラヘマー国立公園の西端にあるヴィル湿原を見学。入口から湿原までの間は松林で歩道の脇はビルベリー(ブルーベリー)やクランベリーが群生しており研修生たちも中に入り摘む。公園内の木道を程なく歩くと眼前に湿原が広がる。泥地では松木は低く精々2m~3m位で散在している。時間の都合上1km先の展望台まで行くこととなる。湿原を渡る涼風と360度の視界の中にすべてが溶け込む。研修生の「星空はすごいんだろうな」の言葉に、圧倒的な星々に潰されてしまいそうな畏怖を感じた。終日サク市を離れ郊外見学となったこの日、悠久の大自然を体感した。
夜は、クルトナ学校でホストファミリーも交えての交流会が開催される。
クルトナ学校は幼小中の一貫校で、202人が通っている。サク・ギムナジウム学校と同様に技術と家庭科に力を入れているようだ。交流会の前に校庭の隅に、昨年と同じく、サク市長とともに参加者による「桂」の木を隣に植える。両市の交流事業がさらに発展し友好関係が確固となることを念じつつ、いつの日か成長した木を研修生に見てもらいたい!と思う。
校内入口の広い講堂(ランチルーム)でホストファミリーと一緒に研修生も集合し交流会と夕食会が催された。最初にサク市長と校長先生から歓迎の挨拶。そして研修生による2度目の自信に満ちた踊りで場が和み、次にクルトナ学校の生徒による民族衣装をまとった見事な踊りが披露される。その後、子供たちと手をつなぎながらグルグル回る楽しいパフォーマンスを全員で行う。自然に笑いが広がる楽しいひと時だ。夕食はホストファミリーが持ち寄ったお料理、伝統菓子や大きなケーキなど、食べきれないほどの量である。学校・ホストファミリーのおもてなしに感激した。おいしくいただいた後は自然に流れ解散となり、三々五々研修生はそれぞれのホストファミリーの家へ戻った。
第6日目 8月4日(土曜日)
この日、タリン市を中心にトライアスロン(IRONMAN TALLINN)が開催されるため、交通規制による混雑が予想されるなかで研修生は夕方までホストファミリーと過ごす。場所によっては自動車では行かれず電車で移動するなど、ホストファミリーはかなり気を遣ってくれたのだと思う。夕方、研修生とサク・ギムナジウム学校に集合してホストファミリーとお別れ。どの研修生も一抹の寂しさを感じながらも充実感がみなぎっていた。ホームスティを有意に過ごしたことがうかがえる。リスニングに自信が持てるようになったとの声も。
このエストニアでの最後の夜はタリン近郊のホテル。宿泊のリゾートホテルは海辺に近く短い夏のバケーションを楽しむ旅行客が多いようだ。夕食はホテルのレストランで、ホームスティのことや研修の反省を含めて感想を聞きながらとる。みな充実した日々を過ごしたようで、帰国拒否症候群が出始めてきた。重症にならないように早めの帰国準備を促す?
第7日目 8月5日(日曜日)
エストニア共和国での最後の日である。タリン旧市街地に9時30頃着いた。お店はまだオープンしていない。石畳の静かな市街もいいものだ。漫ろに散策し、聖オレフ教会の塔に来た。高さは123.7メートル。地上60メートルのところに展望台がある。階段は258段。一段ずつ微妙に形の違う石の階段に歴史を感じずにはいられない。途中、平になる場所で副団長と少し休憩し、ようやく塔の上に出た。きつい。展望台は20階建てのビルに匹敵するのに、足場はいいとは言えない。足がすくみ、下は見ないことにする。研修生が「あっ、揺れている」なんて言うものだから、、、すべてが固まってしまう。(実際は揺れていません)、ここから見た街は、絵本から抜け出た絵画を見ているようだ。この景色を忘れることはできない。いや忘れることがないだろう。
タリン旧市街の中央に位置するラエコヤ広場を集合場所とし時間を定め、自由行動とした。石畳の曲がりくねった道を歩けば、雰囲気のあるクラフトや、歴史的建造物を利用したレストランやショップが点在している。40分後、研修生それぞれがユーロでの買い物も慣れたようで、お土産をたくさん買って、集合場所に集まった。
昼食後、いよいよ帰国するためタリン空港へ。85km先のヘルシンキ空港までの機内は、トライアスロンを観戦したと思われる日本人旅行客もいた。ヘルシンキ空港では日本語もかなり通じるようだ。午後5時半頃の出発便で、またまた10時間程の旅。この日は機中泊で、日本時間で朝9時頃の成田空港着とのこと。夜を徹しての飛行であるが太陽はそのまま朝日となり暗くなることはない。
第8日目最終日 8月6日(月曜日)
日本に到着。税関チェック、機内に預けた荷物の受け取り、荷物の入れ替えと荷物送付、円への両替等々の手続きを済ませる。京成スカイライナー、北陸新幹線を乗り継いで、ついに佐久平駅に到着。ご家族、教育長、実行委員長、教育委員会職員に迎えられて帰着式に臨む。みな一様にほっとした表情である。「帰ってきた」と同時に「現実に引き戻された」瞬間でもあった。その心中は如何に。こうしてエストニア共和国への海外研修は終了した。
4 最後に
ヨーロッパのエストニア共和国に行く、それだけでも大きな価値と創造があります。研修生にとっては、この海外研修を通じ日本という国、自分の住む佐久市、そして自分自身の身近な環境を外(外国)から見てみる最大のチャンスだったと思います。
言葉が分からない中で、ホームステイでの最大限の自己表現を「考えよ、語れ、行え」で挑戦。そして8日間の異国・異文化を「五感を研ぎ澄まして体感」という研修の本質は達成できたものと思っています。この研修で体得した成果が転機となり、将来の進路に活かしてくれることを切に期待します。
最後に、私自身も、この海外研修に参加させていただき、研修生と共に貴重な体験と多くの出会いの機会をいただきました。研修が無事終えられたのも本事業に係るすべての皆様の心遣いとご支援のおかげだと思っております。改めて感謝を申し上げ、研修報告といたします。
お問い合わせ
社会教育部 生涯学習課
電話:0267-62-0671(生涯学習係・青少年係)0267-66-0551(公民館係)
ファックス:0267-64-6132(生涯学習係・青少年係)0267-66-0553(公民館係)
