JICA 輿石あけみさんのウルグアイ便り vol.7
更新日:2015年2月2日
輿石あけみさん (佐久市鍛冶屋出身)
佐久市の皆さん、お元気でしょうか?日本から見ると地球の裏側に位置するウルグアイは、今日本とは反対にだんだん寒くなってきています。今日は、暑い夏に催される情熱のお祭りカーニバルについてお話しましょう。
カーニバル
カーニバルというと、皆さんはリオのカーニバルを思い浮かべる事でしょうね。
確かにリオのカーニバルは、その規模も華々しさも、宣伝も世界一かもしれませんが、実は、同じ時期に世界中で盛大に催されるお祭りなのです。このお祭りはキリスト教の復活祭と深い関係にあります。復活祭の日付が毎年変わるというのはご存知ですか?復活祭の日付の決め方はひどく複雑で、何度読んでも理解できませんが、基本的には、「春分の日のあとに来る最初の満月の次の日曜日」という事になっています。因みに2012年は4月8日、2013年は3月31日、2014年は4月20日でした。そして、復活祭の前の46日間は四旬節という断食期間であり、古代や中世の信者達は肉食を断っていたので、その直前にご馳走を食べて大いに騒ごうというのが「カーニバル(謝肉祭)」の始まりのようです。侵略者達がキリスト教と一緒に持ち込んだこの祭りは、それ以前からその地に住んでいた人々の文化や宗教と結合し、各国独特の祭りに変化して現在に引き継がれています。カーニバルと名前は同じでも、夫々の国、また同じ国でも地方によって異なった踊りや音楽でパレードが繰り広げられます。
以前派遣されていたエクアドルの山岳地帯では、その地域の民族衣装を着けた人々がフォルクローレのリズムに合わせて踊り、ブラジルでは、サンバのリズムで、あの派手な衣装で踊りまくります。そして、ここリベラでは、アフリカのドラムのリズムが主流です。そのドラムの音は、単調なのに力強く、なぜか心に響きます。ブラジルにはアメリカ合衆国と同じように悲しい奴隷の歴史があります。自国から無理やり引き離されて奴隷として辛い日々を強いられた彼らは、身近な木を切ってドラムを作り、故郷のリズムで踊る事で耐えてきたのでしょう。ブラジル国境のこの町にも、奴隷制度があったようで、その伝統が引き継がれています。
カーニバルのパレードの先頭はもちろん、その年のミスカーニバルが飾ります。
それに続いて、数十人のドラマーのリズムにのって、踊り子達が通っていきます。
遠くからドラムの音が聞こえて来るとカメラ片手に飛び出して追っかけです。
踊り子達の中に、一際私の目を引く子が居ました。
彫りの深い浅黒い美しい顔立ち、抜群のプロポーション、踊りも抜群にうまいのです。そのプロポーションを際立たせる衣装に身を包み(というより殆ど着けていません)、美貌を更に印象づける化粧、浅黒い肌は汗と金粉でキラキラと輝いています。「私は踊る事が大好き!今日、私は女王!みんな見て、見て!」と、本当に幸せそうに踊っていました。
カーニバルが始まる何週間か前、彼らの練習を見に行った事があります。その時普段着姿の彼女に会いました。化粧も衣装も着けていない彼女は、まだあどけない普通の少女で、「これがあのカーニバルの女王?」と目を疑うほどでした。「毛虫が蝶に変身する瞬間、それがカーニバルなのだ!」と理解しました。この人達は、今年のカーニバルが終わる瞬間から来年の準備を始めます。ドラムを練習し、踊りの振り付けをし、来年の衣装の為にお金を貯めて行きます。一年の内の何日か、その時だけ主役になれる、熱狂的なドラムのリズムと踊りに一年の憂さを忘れる事ができる。それは、奴隷時代から受け継がれた、虐げられた人々の心の叫び、見果てぬ夢なのでしょうか?
平成26年6月2日 リベラ市より
シニア海外ボランティア 平成24年度二次隊
渉外促進 輿石 あけみ
