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川村吾蔵記念館トピックス

更新日:2018年6月30日

展示替えを行いました(展示物のご紹介)

当館では6月25日から6月29日までの間、展示替えを行い、今回新たに展示することになった作品の一部をご紹介します。

野口英世のテラコッタ胸像の展示をしています。
テラコッタは、粘土を成形しうわぐすりを使わず素焼きにしたものです。ブロンズ作品とは異なり、温かみのある茶色ベースの色をした仕上がりになっており、作品はキラキラと細かな粒が輝いています。野口英世は、現在の福島県那麻郡猪苗代町出身の細菌学者で、1歳の時に囲炉裏に落ち左手に大火傷を負ったが、それを克服し、黄熱病や梅毒等の研究に活躍したことで知られています。現在のガーナ共和国アクラで自身も黄熱病となり、51歳で客死しています。二人の出会いは1921(大正10)年、ニューヨークの吾蔵行きつけの日本料理屋で、乳牛像作りで多忙な中ひとりでお酒を飲んでいた時に、隣の席から「一緒に飲まないか」と声をかけてきたのが、野口英世であったと言われています。
吾蔵は、その生い立ちや性格から英世を大変尊敬しており、日本人クラブでは一緒に碁を指すなど、親しく付き合っていました。また、爪楊枝で歯を掘る癖のある英世のために、デンタルフロスト(今で言う弓形の糸楊枝)を送ったところ大変喜ばれたということです。吾蔵は英世の像を作りたいと思い、スケッチ画を何枚も描きましたが、どうしても悲しいような表情になってしまい、作ることが出来ませんでした。しかし、英世が没してから10年後、改めてそのスケッチ画を見ると、悲しい表情ではなく、医学のために犠牲にならんとする尊い面影であることに気付かされ、制作に取りかかったものです。
猪苗代町の野口英世記念館に胸像とデンタルフロストが展示されています。

ジョージ・アチソンは、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの政治顧問として、国務省から派遣され来日しました。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)内に外交局が設置されたことに伴い、外交局長に就任。加えて大使の地位を与えられました。また、マッカーサーの代理として対日理事会の議長を勤めた人物です。
アチソンは、日中戦争初期の1937年12月12日揚子江において、日本海軍機の誤爆を受け沈没した米国アジア艦隊河川砲艦「パナイ」に搭乗していましたが、救助されています。(この事件で斎藤博駐米大使が早々に謝罪し補償を約しています。)
アチソンは、横須賀から公務で帰米の途中搭乗していたB-17爆撃機のエンジントラブルにあい、グアム島でエンジンの交換をし、その後入念にテスト飛行を行い出発しましたが、途中燃料切れによりハワイ沖に墜落し亡くなりしました。

その他、吾蔵の渡米前、渡米中、晩年のそれぞれの年代の展示作品についても、一部展示替えを行い公開しております。

○本内容に関してのお問い合わせ先
佐久市川村吾蔵記念館(毎週火曜日休館ほか臨時休館があります)
電話0267-81-5353ファクス0267-81-5355
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