更新日:2023年11月1日
11月は、尾崎邑鵬《蘇東坡詩》 を紹介します。
「月替わりコレクション紹介」について
《蘇東坡詩》
制作者:尾崎 邑鵬
生没年:1924年生まれ
制作年:1984年
材質:紙本墨書
寸法:縦228.3センチメートル、横52.3センチメートル
形状:額
尾崎邑鵬は、京都府宮津市出身の書家です。幼少期は、辻本史邑主宰の寧楽書道会が刊行していた書道雑誌『書鑒』に投書して書を学んでいました。1938年頃には、後の師となる広津雲仙の講習会に参加しました。その後、戦争が激しくなったことを受けて邑鵬も兵役に就き、戦後の1946年に雲仙に師事しました。はじめは通信で指導を受けていましたが、1951年には直接指導を受けるようになりました。
1954年、寧楽書道会の主宰者であり、雲仙の師でもある史邑に直接師事します。そして、この年の第10回日展で初入選を果たし、翌年の第9回日本書芸院展で特別賞第一席史邑奨励賞を受賞するなど、徐々に頭角を現わします。
1958年、史邑が逝去したことを受けて、昭和30年代後半に青山杉雨の門を敲きます。このときの心境について「廣津先生の柔らかい字に対し、強い字を書く青山先生に就きたいと思った」(『書家群像』)とのちに語っています。杉雨に正式に入門することはなかったものの、歿するまで作品に対する助言を得ることとなりました。杉雨の指導は邑鵬に合ったらしく、「やってみんかと言って、やらせてくれて、それで、勉強していったら適切なアドバイスも示してくださる、まねが出来ん。先生は偉大だった」(「連載企画「わが古典」第一回 尾崎邑鵬先生」)と当時を振り返り、述べています。
その後、邑鵬は1970年の第2回日展で菊花賞、1983年の第1回読売日本書法展で大賞を受賞するなど様々な展覧会で活躍しました。そして、1986年の第18回日展で文部大臣賞、1993年に日本芸術院賞を受賞し、2016年には文化功労者となりました。
本作品は、邑鵬が第1回読売日本書法展で大賞を受賞した翌年に開催された第1回読売書法展の出品作で、蘇東坡の詩が3行で書写されています。線の太細の変化や字の中の余白が目を惹く作品となっています。
邑鵬は、史邑に師事したことを契機として金農を学び、杉雨に指導を受けるようになってからは倪元璐や董其昌を学びました。本作品には、杉雨から指導を受けた董其昌の影響が窺えます。「がめつい字ばかりでなく、温か味のある線を加えること」(「90歳ー美の輝きー」)を杉雨に教えられたといい、本作品にもそうした温か味のある線が見受けられます。
邑鵬は、99歳となった現在でも多くの展覧会に新作を発表し続けています。「自分に対する負けん気の強さ」(「京都出身の書家は99歳になっても創作はつらつ 秘訣は「負けん気の強さ」」)によって長年書を続けてきたと述べ、車いすで生活しながらも、制作の際には弟子の肩を借りて自らの足で立ち、揮毫しているといいます。
「生涯、筆を持ち続ける」という強い意志を持ち、制作活動を続ける書家・尾崎邑鵬が若き日に制作した《蘇東坡詩》は、長い書歴の一場面でありながらも、今なお衰えぬ輝きを放っています。
【釈文】
来往三呉一夢間 故人半作冢累然 獨依舊社傳真法 要與遺民度厄年 趙叟近聞還印綬 竺翁先已反林泉 何時策上相随去 任性逍遥不学禅
【参考文献】
・菅原教夫『書家群像』(2007年、ビジョン企画出版会社)
・「連載企画「わが古典」第一回 尾崎邑鵬先生」(読売書法会、https://yomiuri-shohokai.com/serialization_001.html、2023年10月27日アクセス)
・「90歳ー美の輝きー」『美術年鑑 平成31年版』(2019年、美術年鑑社)
・「京都出身の書家は99歳になっても創作はつらつ 秘訣は「負けん気の強さ」」(京都新聞、https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1059421、2023年10月27日アクセス)
・成田山書道美術館編『尾崎邑鵬展』(2023年、成田山書道美術館)
《蘇東坡詩》は、9月16日(土曜日)から11月5日(日曜日)まで開催中の「開館40周年記念 油井コレクションとその時代[後期]油井一二コレクションから佐久市立近代美術館へ」で展示しています。
毎週月曜日(休日の場合は開館)
展示替え期間(不定期)
年末年始期間(12月29日~1月3日)
ほか臨時休館することがあります。
午前9時30分~午後5時