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中山道5宿

更新日:2015年2月2日

岩村田宿(江戸より22番目)

かつて地の利を生かした豪族大井氏によって発展した岩村田は、民家6千軒を有し信濃でも有数の都市として発展していきましたが、文明16年(1484年)村上軍の戦火に焼きつくされ廃墟になったと言われております。その後、戦国時代武田氏の支配下で復活していき江戸時代に中山道の宿駅となり発展していきました。岩村田宿は小諸への街道、甲州への街道、下仁田への街道の分岐点であった為、交通の要衝地として重要な役割を果たしました。元禄十六年(1703年)に内藤氏によって岩村田藩が成立しますが、城下町であったため、本陣・脇本陣が設置されず、周辺の寺院が本陣・脇本陣の機能を果たしました。

塩名田宿(江戸より23番目)

中山道で唯一千曲川と合流する宿場です。近郷無類の暴れ川と呼ばれる千曲川の氾濫に苦心しており、明治期になって舟をつないでその上に板を架けて橋とする「船橋」方式がとられました。現在も格子戸が残る街並みには旧屋号の看板が下げられており、老舗の川魚料理店があります。

八幡宿(江戸から24番目)

江戸時代より、穀倉地帯となったこの地域は、周辺の米の集散地として慶長年間に整備されました。本陣近くにある八幡神社は繊細な彫刻のある建造物で、境内には県下最古といわれている算額や国の重要文化財として指定されている高良社(こうらしゃ)があります。また、八幡宿には皇女和宮が泊まった宿場で、この宿場を出ると瓜生坂(うりゅうざか)の難所越えとなります。

望月宿(江戸から25番目)

奈良平安期の信濃には16の牧があり約80匹の馬を朝廷に献上したと言われています。その中でも望月は突出しており、中秋の名月になると信濃より馬が送られてくるので、その代表格であった場所が望月と命名されました。
街道沿いには、「望月歴史民俗資料館」や国の重要文化財に指定されている、出桁造りの旅籠「真山(さなやま)家」(大和屋)があります。

茂田井(あい)の宿

望月宿と芦田宿で対応できない大通行の際に休憩処として機能を果たしていました。茂田井地域は良質米の産地として名をはせており、街道沿いには造り酒屋が2軒あります。

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