このページの先頭です
このページの本文へ移動

おうちで社会科見学!!-旧大沢小学校-

更新日:2020年5月7日

 文化財事務所では、ご自宅のパソコン等で佐久市にある文化財を見ていただくツールとして、「おうちで社会科見学!!」のページを開設しました。第4弾は明治時代中期に建てられた「旧大沢小学校」です。どうぞお楽しみください!!

佐久市有形文化財「旧大沢小学校」

 旧大沢小学校は、明治26年(1893)に「大沢尋常(じんじょう)小学校」として開校しました。この学校が建てられる前は大沢村にあった龍泉院(りゅうせんいん)というお寺の敷地に明治6年(1873)から「文明(ぶんめい)学校」と呼ばれる学校がありました。ところが、旧中込学校と同じように、このままお寺の敷地を借りたままでは良くないということで、明治24年(1891)7月に学校の新築が決定し、翌年2月に着工しました。

 さて、旧中込学校のところでも気になりましたが、この学校を建てた時にどのくらいのお金がかかったのでしょうか?
 実は当時のお金で3,425円をかけて建てられました。このお金も明治時代ではとても高額なお金でした。このお金のうち、200円が大沢村のお金で、残りは大沢村に住む村民の寄付金などにより集められました。旧中込学校と一緒で、この時代の学校は村の将来を任せる子供たちのために、地域の人々の協力によって建てられていたと言えます。

 次に建物の特徴について見てみましょう!!
 旧大沢小学校の建物は、旧中込学校と一緒で、日本人が洋風の建物を見本にして建てた擬洋風(ぎようふう)学校です。外壁は洋風建物に特徴的な下見板張(したみいたば)りの方法が見られ、完成当時は白いペンキが塗られていました。
 校舎内には中廊下と建物中央に踊り場が付く階段があり、この時代の独特の構造になっています。また玄関と図書館の扉の上には、旧中込学校にもあったように半円型の窓があります。

 それでは旧大沢小学校の中をぐるっと見学してみましょう!!

 旧大沢小学校をぐるっと見学してきましたが、いかがしたか??
 最後に旧大沢小学校の珍しいものを紹介します!!

 これは外から窓枠の下を撮影した写真です。
 写真中央に金属の部品が見えますよね?これは何のためについているのかわかりますか?
 これは「水落(みずお)とし」と言って、ガラス窓に吹き付けた雨水が外壁に伝わって流れないようにするための部品です。つまり、外壁を雨から守るためにつけられたものです。建物を守るための細かな工夫により、現在まで校舎が残っていると言えます。

 
 
 続いて、2つ目の珍しいものを紹介します。

 職員室には「大澤小学校」と書かれた額が飾ってあります。
 この字は誰が書いたのでしょうか??額の左隅に「大給恒(おぎゅうゆずる)」と書いてありますね。みなさん、この名前に見覚えはありませんか??
 実は「おうちで社会科見学!!」の第2弾「龍岡城跡」に登場しました、龍岡城を作った、あの大給恒(おぎゅうゆずる)松平乗謨(まつだいらのりかた))ですね。
 どうして大給恒が書いた額が旧大沢小学校にあるのか不思議ではないでしょうか?
 実は、大給恒(松平乗謨)がお殿様として支配した田野口藩の領地にはこの大沢地区(旧大沢村)も含まれていました。おそらく明治時代になって学校が完成したことを記念して、昔のお殿様から「大澤小学校」と書かれた額をプレゼントされて、今に伝わっているのではないでしょうか。意外なつながりがあり、ビックリしましたね。
 

 「旧大沢小学校」の「おうちで社会科見学!!」を楽しんでいただけましたか?
 第5弾(最終回)は「蛇塚古墳」を予定しています。
 

お問い合わせ先

佐久市教育委員会文化振興課文化財事務所
住所:長野県佐久市中込2913番地
電話:0267-63-5321

お問い合わせ

社会教育部 文化振興課
電話:文化振興・文化施設係:0267-62-5535  文化財保護・文化財調査係:0267-63-5321
ファックス:文化振興・文化施設係:0267-64-6132  文化財保護・文化財調査係:0267-63-5322

お問い合わせはこちらから

本文ここまで

ページの先頭へ