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令和6年度 佐久市ふるさと創生人材育成事業 中学生海外研修(エストニア共和国)報告

更新日:2024年10月31日

令和6年度 中学生海外研修(エストニア共和国)報告 引率団長 工藤隆雄

1 研修の概要

(1)目的

次世代を担う市内に在住する中学生が、佐久市と姉妹都市協定を締結しているエストニア共和国サク市に訪問し、同世代の子供たちとの交流や世界文化遺産のタリン旧市街の見聞、ホームステイを通しての歴史、文化、生活習慣などの違いを体感するとともに、意思疎通を図ることで、コミュニケーション力を高め国際的視野を広げることを目指す。
なお、本研修は、平成29年度から始まり、令和元年度に3回目を実施したあと、新型コロナウイルス感染症の影響で、令和2年度から4年度までの3年間中止となった。その後、令和5年度に再開し、今年度の研修が5回目となる。

(2)日程

令和6年7月29日(月曜日)から令和6年8月5日(月曜日)までの8日間

(3)研修地

エストニア共和国

  • サク市:サク市庁舎、ギムナジウム学校、クルトナ学校など
  • パルヌ市:農場、ビーチ、パルヌ川など
  • タリン市:旧市街、在エストニア日本国大使公邸、パクリ灯台など

(4)参加者

研修生:市内中学生8名(1年生3名、2年生5名)
引率者:2名(佐久市職員)
添乗員:1名(日本旅行佐久平サービス)

2 事前研修

エストニア共和国の隣国での紛争といった不安材料もありましたが、4月下旬より研修生8名の募集を開始した。応募者は、前回までと比べると少なく、7名と定員割れの状況であった。実行委員会において、応募期限までに申し込みのあった7名を研修生として確定し、残った1名の枠について、再募集を行うこととした。結果、2名の応募があり、抽選で1名を決定して、今年度の研修生8名が決まった。
事前研修は、6月4日(火曜)から7月20日(土曜)までの間に、8回実施した。
第1回目の事前研修では、初めに、研修生8名のリーダーと副リーダーを選出することになったが、1名の研修生(2年生)が立候補し、そのままリーダーとなった。副リーダーの選出は、リーダーになった研修生が、話し合いを進めて決定した。
2回目以降の事前研修では、エストニアで、見たいことや知りたいこと、学んできたいことなどを課題としてまとめた。4人ずつ2班に分かれて、それぞれの課題を話し合ったほか、「佐久市の紹介」や「あいさつ」の役割、エストニアのお別れ会で行う「だるまさんがころんだ」などのゲーム、全員で披露する歌を研修生同士で話し合って決め、限られた時間の中で練習にも取り組んだ。また、日本・エストニア親善協会の花岡氏から、エストニア共和国の食事や歴史、風土などについて、話をお聞ききするとともに、現地で行うゲーム「だるまさんがころんだ」の英訳についても指導していただいた。英会話学習では、講師から、日常生活で使える英会話を面白おかしく真剣に教えていただいた。
7月20日の壮行会は、市長、教育長、教育委員、実行委員、保護者に出席いただき、緊張の中、研修生たちの参加動機やグループ課題について発表をした。壮行会の最後には、モンゴル国の研修生と一緒に現地で発表する歌「RPG」の斉唱もあり、海外研修への意気込みが感じられた。

3 第1日目 7月29日(月曜日)

佐久平駅において、中澤実行委員長、保護者、生涯学習課職員出席のもと出発式を行った後、みんなに見送られる中、「行ってきます」と改札を抜けてホームに向かい、午後4時4分発の新幹線あさま号に乗車した。新幹線、山手線、モノレールを乗り継いで、羽田空港に到着した。新幹線等の車内での生徒は、写真を撮ったり談笑したりして楽しんでおり、これから行く見知らぬ外国への不安は、あまり見られなかった。
羽田空港に着くと、予め送っておいた荷物を受け取り、海外渡航の手続きや日本円をユーロへ換金する手続きなどを研修生自ら行った。
離陸までに、待ち時間が3時間以上あり、機内食の配膳も深夜になるとのことだったので、全員で軽食をとることにした。研修生たちは、それぞれハンバーガーなどを購入して、全員で滑走路や飛行機が見えるバルコニーに移動して食べた。また、空港内のコンビニで、飛行機内で飲む飲料水や食料品を購入して飛行機の搭乗を待った。保安検査や出国手続きは、添乗員のおかげで、スムーズに終わり、無事飛行機に搭乗となった。
午後9時50分発、フィンランド航空の飛行機で出発した。ヘルシンキ空港に到着するまでに、食事と飲み物の配膳が2回あった。機内では、モニターとイヤホンで、吹き替え版の映画やドラマ、音楽の視聴もできたが、航路が北極圏回りであったことや気流の悪い場所を迂回したことから、13時間を超える搭乗となり、時間をつぶすことが大変であると感じた。

第2日目 7月30日(火曜日)

午前5時30分(現地時間)に経由地のヘルシンキ空港に到着。飛行機の到着が遅れたため、当初予定していたタリン行きの便には搭乗できず、次の便で、タリンに向かうこととなった。ここでも、飛行機に搭乗するまでの待ち時間があったため、飲み物や軽食を購入して出発までの時間を過ごした。研修生たちは、慣れない英語を使って店員と会話をして、積極的に買い物をしていた。
午前10時50分(現地時間)ヘルシンキ発のフィンランド航空機で、タリンに向かった。いよいよ、エストニア共和国へ。
午前11時25分(現地時間)タリン空港に到着。ヘルシンキ空港からは、約30分の搭乗であった。日本との時差が約6時間なので、日本時間で午後5時30分くらいである。佐久平駅を出て、タリン空港に着くまで、飛行機の搭乗待ちの時間も含め、丸一日以上かかったことになる。
タリン空港の出口では、エストニアの学校のマリス先生やアグネ先生、ホストファミリーの学生たちが出迎えてくれた。私たちを待っていた皆さんの顔や態度から、とても歓迎されていると感じた。タリン空港出口で、集合写真を撮った後、用意された専用のバスに乗って、ギムナジウム学校まで移動した。バスを降り、全員で学校から少し離れたカフェまで歩いて移動した。
カフェでは、ホストファミリーの学生とペアになってテーブルにつき、一緒に昼食を食べたが、初対面の相手と何を話していいか戸惑う場面も見られた。始めて食べるエストニアの食事は、ひとつのお皿に、チーズを乗せて焼いたチキンとジャガイモがメインとして盛り付けてある料理で、食後には、コーヒーとケーキもあった。一人ひとりの食事の量が多く、食べきる研修生もいたが、料理の残った皿が目立った。
昼食後、ギムナジウム学校まで歩いて戻り、以前はサク市の庁舎だったという校舎の中を案内していただいたあと、校舎の2階にあるホールで交流会を行った。
はじめに、エストニア共和国サク市の生徒たちから、研修生、添乗員、引率者に、胸に日本語で「佐久」、背中にローマ字で「SAKU」と文字(文字の一部には、両国の国旗のカラー赤と青も使用されていた)の入ったパーカーなどがプレゼントされた。
交流会では、お互いの名前を覚えるよう、自己紹介を兼ねたアイスブレイクゲームを行った後、エストニアの学生によるエストニアの文化や民族衣装などの紹介、カンネルという楽器による演奏などがあった。演奏曲の中には、日本の「富士山」もあり、私たちの訪問に対する心遣いがありがたかった。
佐久市の研修生からは、日本の文化や食べ物、祭り、中学生の生活などについて、8名それぞれが担当した部分を映像に合わせて紹介した。
それぞれの紹介が終わった後、エストニアの黒パンやきな粉に似たカマ(ライ麦、大麦、小麦などを焙煎して粉状にしたもの)で作ったデザート、チョコレートなどと日本の煎餅やグミ、駄菓子などをみんなで食べながら、歓談をした。
交流会終了後、研修生たちは、それぞれ迎えに来たホストファミリーの車に乗り、各家庭に分かれていった。
添乗員と引率者は、校舎から少し離れた場所にあるサクモイスホテルに歩いて移動した。引率者たちは、サク市のエーロ議長、マルティ市長をはじめ、マリス先生、アグネ先生、サク市の自治体メンバーなどと一緒に歓迎夕食会となった。食事会の中で、お互いの名刺を交換したり、持ち寄った土産を渡したりして、両国の親交を深めた。

第3日目 7月31日(水曜日)

ホテルを午前8時(現地時間)に出発し、歩いてギムナジウム学校まで行き、研修生たちと合流、専用バスにてパルヌ市へ向かった。
パルヌ市に到着し、農場内や農場の博物館、水車の施設などを見学し、農場にあるレストランで昼食をとった。その後、エストニアの動物のはく製、植物などを展示している自然科学館「ペルノバネイチャーハウス」を施設職員の説明を受けながら見学した。施設見学の後、海水浴のできるビーチに移動した。
ビーチでは、両国の研修生、引率者のほとんどが海水浴を楽しんだ。エストニアのビーチは、かなり遠くまで遠浅で、研修生たちが2キロほど行っても、海水面は腰のあたり程度だった。また、海水が塩辛くないと聞いたので、少しなめてみると、本当に塩辛くなく、薄い塩味といった程度であった。インターネットで調べてみると、湾になっていること、河川からの流入水が多いことなどが要因らしい。そのため、シャワーを浴びなくても肌はさらっとしており、海水浴場には、更衣室はあるが、シャワーは設置されていなかった。
この日は、途中で、雨が強く降ってきたことから、早めに海から上がり、近くの建物の下で、少し雨宿りをした後、ホテルに移動し、それぞれ自由時間とした。自由時間、研修生たちは、エストニアの学生たちとペアになって近くのスーパーに行き、土産物などの買い物をした。
自由時間の後、パルヌ市内で夕食をとり、パルヌ川に行って、全員でナイトクルーズを楽しんだ。白夜のため、昼間に近い状況で、水面もよく見えた。クルーズ中は、一時的に雨に降られることもあったが、研修生たちは、船内や船首に集まって交流を深めた。

第4日目 8月1日(木曜日)

宿泊したパルヌ市のホテルを午前10時(現地時間)に出発し、タリン旧市街に向かった。
タリン旧市街に到着し、レストランで昼食をとったあと、午後は、ボランティアスタッフが、タリン旧市街を説明しながら案内してくれた。
研修生たちは、タリン旧市街の散策や土産物などの買い物、素晴らしい景色をバックに写真撮影を楽しんだ。また、タリン市内では、戦時中に防空壕や毒ガスの攻撃から非難する場所として使用されていた地下通路や教会なども見学し、有名なチョコレート屋では、買い物もした。
ボランティアスタッフのスタッシ―氏と別れ、専用バスでサク市に戻った研修生たちは、一軒のホストファミリーの家に集まって、ホストファミリーの皆さんが用意してくれた夕食を兼ねたホームパーティーに参加し、バーベキューやゲームを楽しんだ。

第5日目 8月2日(金曜日)

午前9時(現地時間)に、ギムナジウム学校の駐車場に集合し、サク市表敬訪問のため、歩いてサク市庁舎へ向かう。この日は、市長が不在で、サク市長の秘書のシリ氏に庁舎内の案内と説明をしていただいた。サク市の庁舎では、約60名の職員が働いているとのことだが、この日は10名程度が出勤しているだけで、ほかの職員は、自宅でのリモート勤務やバケーション中とのことだった。
市長室はガラス張りで、廊下からも見える構造となっており、室内には、日本の掛け軸や兜の置物などが飾られていた。市役所の職場は、かなりゆったりした机の配置になっており、コピー機は1台だけ確認できた。また、ビリヤード台などがあり、屋上には、花と野菜が栽培されていた。
庁舎内を見学した後、会議室に移動し、タネル副市長に栁田清二佐久市長からの親書とお土産を渡した。タネル副市長からは、エストニアのサク市について話を伺った。その中で、日本の桜の木を植樹することを計画しているとの話もあった。その後、専用バスで、タリン市に移動し、在エストニア日本国大使公邸に行き、松村之彦特命全権大使を表敬訪問した。
大使公邸は、警備上の関係からか室内の写真撮影は禁止であった。松村大使は、挨拶をされたあと、公務のため退席された。清水二等書記官に案内された部屋で、研修生たちは、公邸の料理担当の職員に手毬寿司の作り方を教わり、それぞれが手毬寿司を作った。
その日の昼食は、みんなで作った手毬寿司と予め用意していただいた手毬寿司や鶏のから揚げ、餃子、ケーキ、飲み物などが振舞われ、研修生たちは、久しぶりの日本食を味わうとともに、エストニアの学生たちにも料理を勧めていた。
大使公邸前で集合写真を撮った後、かつての潜水艦工場だった場所にある「PRОTО発明工場」に移動し、3D映像と5Rゴーグルを使った体験型のアトラクションを楽しんだ。
サク市に戻り、研修生たちは、ホストファミリー宅で最後の宿泊となる。

第6日目 8月3日(土曜日)

午前10時(現地時間)にギムナジウム学校に集合し、専用バスで移動、「ケイラの滝」を見学したあと、クログビーチの散策をした。水着を持ってきた研修生は、海水浴も楽しんでいた。
クログビーチを散策したあと、地上50メートル、地下20メートルのパクリ灯台に登った。灯台の中の275段ある螺旋階段を登っていくのだが、上に行くにしたがってかすかに揺れており、階段横の壁が少しではあるが、ところどころ崩れていて、崩れないかと少し不安になった。高所恐怖症の1名の研修生は、登ることを断念した。
昼食の後、クルトナ学校に行き、学校内を案内していただいたあと、いよいよ、ホストファミリーとのお別れ会である。飛び入りで、昨年度のエストニア研修生4名も参加してくれた。
お別れ会では、クルトナ学校の生徒によるダンスの披露があり、研修生たちも途中から参加して、クルトナの生徒を真似て踊った。また、カンネルによる演奏もあった。佐久市の研修生たちは、事前研修で練習した歌、「ふるさと」、「COSMOS」、「RPG」の3曲を歌ってプレゼントし、ホストファミリーやスタッフの皆さんから大きな拍手をいただいた。感動して、涙を流しているホストファミリーの姿も見られた。
交流が終わったあと、エーロ議長と私の挨拶があり、用意していただいた料理を食べながら、最後の歓談をした。別れを惜しみながらバスに乗り、クルトナ学校を出て、タリン市内へ。
タリン市内で夕食をとったとき、研修生たちから一言ずつ感想を聞いた。「ホストファミリーと積極的に話ができた。」、「翻訳アプリを使わずにコミュニケーションをとった。」、「ホストファミリーがやらせてくれたことを積極的にできた。」、「翻訳アプリを使わずに会話ができたら楽しいと思った。」、「コミュニケーションをうまくとれなかった。」、「質問されたときによくわからなかった。」、「翻訳アプリに頼りすぎた。」などの感想があった。
また、「またエストニアに来たい?」の問いかけには、即答で「はい、もちろん。」、「絶対来ます。」との答えが、「エストニアの研修生が佐久市に来たときは、ホストファミリーになってくれるか?」の問いかけには、「なります。」、「もちろん。」の答えのほか、「一週間ずっと一緒にいたい。」、「学校休んじゃダメですか?」との答えが戻ってきた。
夕食を済ませ、ホテルに到着。最後のエストニアの夜である。研修生たちは、それぞれ部屋に分かれ、帰国の準備をした。

第7日目 8月4日(日曜日)

いよいよ、エストニア共和国滞在最終日である。
午前中は、タリン旧市街を散策しながら、家族へのお土産を購入する時間とした。途中、聖オラフ教会の塔に登った。階段は狭く段差がきつい箇所があったが、登り切った塔の上からは、タリン市街地が一望できた。
午後、ホテルを出発し、タリン空港へ向かった。みんなの荷物は、頂いたお土産と家族に購入したお土産で、エストニアに来た時より膨らんで大きくなっていた。空港で荷物の計量をすると、重量オーバーしているものが多く、別のカバンや引率者のスーツケースに移し替えて、何とかクリアし、荷物を預けることができた。タリン空港には、私たちを見送るため、大勢のホストファミリーが来ていた。二度目の涙の別れとなった。
ホストファミリーに見送られ、午後2時55分(現地時間)発の飛行機で、タリン空港を飛び立ち、午後3時25分(現地時間)、経由地のヘルシンキ空港に到着し、午後6時30分(現地時間)発のフィンランド航空の飛行機で帰国の途についた。
日本まで12時間以上かかる機内では、ゲームをする者、テレビを観る者、また疲れて寝てしまう者と様々であった。中には機内食も食べず、機内のテーブルに突っ伏して寝ている者もいた。

第8日目最終日 8月5日(月曜日)

午後1時30分、羽田空港に到着。到着してまず感じたことは、東京のむっとする熱気だった。エストニアとの気候の違いを感じた。
入国審査、スーツケースの受け取り、税関申告などもスムーズに終わり、無事空港出口へ到着。スーツケース等を自宅に送る手続きを行ったあと、研修生たちは、使いきれなかったユーロを日本円に換金した。行きとは逆の行程で、午後5時44分に佐久平駅に到着した。
改札口をでると、中澤実行委員長、保護者、生涯学習課長、青少年係長・係員のほか、学校教育部長や社会教育部の他課の課長などたくさんの皆さんが出迎えてくれた。研修生たちは、8日ぶりに家族と顔を合わせ、ほっとした様子であった。
佐久平駅で帰着式を行い、集合写真を撮ったあと研修生たちは家族と一緒に帰って行った。
研修生を見送り、静かになった研修が無事に終わったことを実感し、安堵感を覚えた。

4 おわりに

8日間の研修期間中、好奇心のかたまりのような研修生たちは、自分なりに考えて、スマホの翻訳アプリを使ったり、片言の英語と身振り手振りを駆使したりして、言葉の通じないホストファミリーたちとの会話や外国での買い物などに、積極的に挑戦していた。
同じ佐久市(サク市)ということで縁があり、つながりができたヨーロッパのエストニア共和国という異国の地を、中学生という多感な時期に訪れ、この貴重な経験ができたことは、研修生にとってとても大きな価値があった。この経験が、今後、研修生たちが決める将来の進路や目標の手がかりのひとつとして活かされれば良いと思う。また、私自身もこの研修の中で、研修生(中学生)たちの行動力や柔軟さに驚き感心するとともに、研修生やエストニアの人々との出会いや貴重な体験の機会をいただきました。引率団長として、研修生を引率するという仕事ではありましたが、終わってみるととても楽しい経験でした。
結びに、この研修が、大きな怪我等もなく無事に終了できたのは、生涯学習課 青少年係の職員をはじめ、事前研修から参加していただいた日本旅行佐久平サービスの添乗員(通訳)櫻井氏、エストニア共和国のマリス先生、アグネ先生、現地ガイド兼通訳のサチコ氏、西角氏などのお力添えのおかげです。
本研修に携わっていただいたすべての皆様に心より感謝を申し上げ、研修報告といたします。
ありがとうございました。

お問い合わせ

社会教育部 生涯学習課
電話:0267-62-0671(生涯学習係・青少年係)0267-66-0551(公民館係)
ファックス:0267-64-6132(生涯学習係・青少年係)0267-66-0553(公民館係)

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