更新日:2025年6月1日
6月は、下村 観山《美人観桜》を紹介します。
「月替わりコレクション紹介」について
《美人観桜》
制作者:下村 観山
生没年:1873-1930年
制作年:1901年頃
材質・技法:絹本彩色
寸法:高さ117.7×幅48.5
下村観山は和歌山県和歌山市生まれの日本画家です。生家は紀州徳川家に代々仕えた能の小鼓の家系でしたが、観山が8歳の時に一家で東京に移住し、父は篆刻や輸出象牙彫刻を生業としました。観山は祖父の友人だった藤島常興に絵の手ほどきを受け、のち藤島常興の紹介により狩野芳崖に師事し、明治19年(1886)にその親友である橋本雅邦を紹介され、師事することになりました。そして、その年に鑑画会例会に作品を出品するなど、早くから頭角を現し、明治22年(1889)に東京美術学校(現 東京藝術大学)に第一期生として入学、東京美術学校卒業と同時に同校の助教授となりました。しかし、明治31年(1898)に岡倉天心の校長辞任に殉じて辞職し、日本美術院の創立に参加しました。そして、大正3年(1914)に岡倉天心が逝去したことを契機として、横山大観、木村武山、安田靫彦、今村紫紅、小杉未醒らとともに日本美術院を再興しました。
本作品には、満開の桜の枝に女性が薄絹を結び付けている場面が描かれています。よく見ると、薄絹には和歌のようなものが描き込まれています。恋歌でしょうか。落ち着いた色彩の小袖と暈しを用いて描かれた黒髪、そして美しい横顔。描き出された麗人は、わずかな色の濃淡の変化を用いて表現された桜の花びらによって、その優美さが強調されています。
日本美術院の機関紙『日本美術』三十三(明治34年)には、第9回絵画研究会で課題「鎭密」の應作として《婦人》(元禄の稍前頃の武家の女)と題された観山の作品が一等賞を受賞した旨が記されており、当時の図版から、本作品である可能性が高いと考えられます。この作品は、木村武山に「彩色殊に佳。体格を難ずる人あらんも、是れ自然なり。花も頗る巧みにて、第一の出來と見ゆ」(註1)と評されており、高く評価されました。
本作品は、現在開催中のコレクション展「近代日本画から現代の日本画へ―日本美術院再興110周年を記念して―」で展示しています。
日本美術院に所属した作家たちの作品から、近代日本画から現代の日本画への歩みをご覧いただけますと幸いです。
註1 『日本美術』三十二(明治34年)
毎週月曜日(休日の場合は開館)
展示替え期間(不定期)
年末年始期間(12月29日~1月3日)
ほか臨時休館することがあります。
午前9時30分~午後5時