このページの先頭です
このページの本文へ移動

島崎藤村詩碑

更新日:2015年2月2日

島崎藤村詩碑 千曲川旅情のうた

初出

旅情(小諸なる古城のほとり)明治33年4月「明星」
一小吟(千曲川旅情のうた)明治33年4月「文界」
両詩ははじめ「旅情」「一小吟」と題され独立した単独の詩として、それぞれ別紙に発表された。

移動

1.落梅集明治34年8月

この詩集において両誌はまだ別々の詩の扱いで組まれている。
小諸なる古城のほとり(小諸碑の詩)
千曲川旅情のうた(臼田碑の詩)

2.藤村詩集改刷版大正6年9月

この改刷版により両詩は姉妹詩の扱いで組まれるようになった。
千曲川旅情の詩
小諸なる古城のほとり(小諸碑の詩)
千曲川のほとりにて(臼田碑の詩)

3.藤村詩抄昭和2年4月

千曲川旅情のうた
一(小諸碑の詩)
二(臼田碑の詩)
以上が両詩の初出形から最終形に至るあらましの来歴である。もともと両詩が初出時において、同じ年の同じ月に別々の詩上に発表された作品とはいえ、姉妹の性格をはじめから内包していたものと想像される。
臼田碑の詩は、一時は「千曲川のほとりにて」と題されたほど、臼田橋の辺りから眺める千曲川の景観を彷彿させ、詩人の想いを静かに響かせているようで、藤村にとっても、詩にとっても、まことにゆかりの深い場所を得た詩碑だと思う。

『藤村』と『臼田』

  • 藤村の人生と文学とに千曲川は深い関係を持つが、藤村はその作品の中に、「臼田に稲荷山公園というところがあって公園前の橋のたもとあたりから望んだ千曲川の眺めは実に好い」(童話集力餅参照)と書いているように、千曲川の長い川筋の中で、稲荷山の下から北に流れる眺めを最も好んでいた。
  • 藤村の最愛の末娘柳子さんは、昭和10年、井出家に嫁いでこられた。

以上の点から、藤村が生前ひそかに詩碑とすることを望んでいた「千曲川旅情の詩」の詩碑建設地としては、稲荷山が最適とされたのである。

≪詩碑≫

1.設立

昭和52年11月【完成】
昭和53年3月【除幕】

2.碑型

自然石銅板(H=65cm,W=110cm)

3.位置

佐久市臼田稲荷山内
小海線臼田駅より徒歩10分。稲荷山頂上に近い一画にある。

問い合わせ先 佐久市臼田支所経済建設係
電話:0267-82-3111

お問い合わせ

経済部 観光課
電話:0267-62-3285
ファックス:0267-62-2269

お問い合わせはこちらから

本文ここまで

ページの先頭へ