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新海三社神社

更新日:2022年6月14日

新海三社神社

新海三社神社は、その創建は不詳ながら、興波岐命(おきはぎのみこと)を主神として東本社に祀り、その父神・建御名方命(たけみなかたのみこと)を中本社に、伯父神・事代主命(ことしろぬしのみこと)を西本社に祀ります。
特に興波岐命が、新開神(にいさくのかみ)とも称されることにより、「佐久」の地名の由来ともいわれるほか、諏訪湖の御神渡の「佐久の渡」は、興波岐命が湖上にて父神とご参会された跡とされています。

古来佐久三庄三十六郷の総社と言われた新海三社神社は、広大な社地を有し、旧境内の古墳からは蕨手刀(わらびてとう)が出土し、武神としても崇敬あつく、源頼朝による社殿の修理再興の口碑、武田信玄の箕輪城攻めに際する戦勝祈願の願文も残されています。
入口の大きな鳥居をくぐると遠くに大ケヤキと大スギが立ち並ぶ参道が暗い影を落としています。
その先の石段を上ると、拝殿が正面に見え、その脇には神楽殿があり、非常に静かな佇まいは、とても落ち着いた雰囲気を感じさせてくれます。
拝殿と神楽殿は共に木造の簡素な装飾で、大きな社叢の中に静かに鎮座しているように見えます。
拝殿後方には、西本社、中本社、東本社の三つの社殿が並んで建っており、素木で作られた拝殿の質素な雰囲気とは一変し、西本社と中本社は朱と彫刻が見事な流造となっています。
また、西本社と中本社の間には、御魂代石(みたましろいし)の石幢(せきとう)があります。
一番右の東本社は一間社流造(いっけんしゃながれづくり)・桧皮葺(ひわだぶき)で、母屋の柱貫木鼻(はしらぬききばな)の笹模様などに時代的な特徴が示され、国の重要文化財に指定されています。
当社の奥には、室町時代末の永正12年(1515年)の建造物で、東社と共に国の重要文化財として指定された三重塔があり、その建築様式は三間三重塔婆(さんけんさんじゅうのとうば)・柿葺(こけらぶき)で、禅宗様と和様を折衷した建築当時の特性をよく示しています。

同じ地区にある「龍岡城五稜郭」の散策とあわせてお楽しみください。

案内図

お問い合わせ

経済部 観光課
電話:0267-62-3285
ファックス:0267-62-2269

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