伴野城跡(城山公園)
更新日:2022年6月14日
鎌倉時代以来伴野氏の館跡で、後の野沢城の本丸にあたる地域です。東西74~85メートル、南北110メートルの長方形をしており、周囲に濠をめぐらし、その内側に沿って西・北・東の三方に土居を残し、南の中央に入口を置き、西南の高地に物見櫓(ものみやぐら)が設けられたと推定されます。
この館跡は室町から戦国時代にかけて伴野氏が本丸とし、二の丸・三の丸・出丸などを設け、土居を築いて塀をめぐらすなど順次規模を拡大させました。その後さらに防衛のため、前山城を築き本拠を移しましたが、天正11年(1583年)依田信蕃(のぶしげ)が野沢城と前山城を攻略し破壊しましたが、旧館跡の本丸だけは、かろうじて旧形をとどめています。城跡内には大伴神社が祭られています。
案内図
