舟つなぎ石
更新日:2015年2月2日
江戸時代、塩名田宿付近の千曲川は、流れも急で、洪水のたびに橋が流されていました。さらに、橋の架けなおしには負担も大きかったことから、一時舟渡しも行われましたが、不都合も多く、結局、橋を架ける方式がとられ、幕府は、橋を維持するため、佐久・小県郡内の村々で組合を組織させ、これにあたらせました。
明治に入り、組合での維持管理ができなくなってしまい、新たに船橋会社がつくられました。この会社では、明治6年(1873年)に千曲川に九艘の船をつないで、その上に板を架けて橋とする「船橋」方式により渡川を確保しました。
その際、船をつなぎとめるために使われたのが、上部に穴を開けた大きな岩石で「舟つなぎ石」を呼ばれています。
その後、明治25年(1892年)に木橋が架けられたことから、船橋とともに舟つなぎ石はその役割を終え、現在では、船橋時代の苦労を物語る歴史遺産として、千曲川の流れを静かに見つめています。
案内図
DATA
場所 | 佐久市塩名田(千曲川河川敷) |
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