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おうちで社会科見学!!-東一本柳古墳「馬具」-

更新日:2020年5月22日

 文化財事務所では、ご自宅のパソコン等で佐久市にある文化財を見ていただくツールとして、「おうちで社会科見学!!」のページを開設しました。第6弾からは佐久市内の遺跡から発見された文化財を紹介しています。第6弾の八風山(はっぷうさん)遺跡群「石槍(いしやり)」、第7弾の北西(きたにし)久保(くぼ)遺跡「埴輪(はにわ)」に続いて、第8弾は東一本柳(ひがしいっぽんやなぎ)古墳から発見された「馬具(ばぐ)」です。どうぞお楽しみください!!

東一本柳(ひがしいっぽんやなぎ)古墳「馬具(ばぐ)

 東一本柳古墳は、佐久市岩村田にあった7世紀に造られたとされる古墳です。昭和46年(1971)に調査が実施され、直径10mほどの小さな円墳であることがわかりました。また、古墳からは今回紹介する「馬具」をはじめとする多くの副葬品が発見されました。
 皆さん、「馬具」とはどんなものか覚えていますか?実は前回の北西ノ久保遺跡の「埴輪」で、勉強したと思います。それでは、復習のために、もう一度その埴輪に登場してもらいましょう!!

 左の写真が馬具で飾られた「(かざ)り馬」で、右の写真は馬具で飾られていない「(はだか)馬」です。この二つの埴輪を見比べてみると、「裸馬」にはなく、「飾り馬」にある部分が「馬具」であり、人が馬に乗りやすくするとともに、馬を綺麗(きれい)に、そして豪華(ごうか)に見せるための道具であると言えましょう。
 それでは、東一本柳古墳から発見された馬具を見てみましょう!!

東一本柳古墳から出土した杏葉(ぎょうよう)の写真です。
杏葉

 まずはじめは、馬具の「杏葉(ぎょうよう)」という飾金具(かざりかなぐ)をお見せしましょう。
 これは金銅(こんどう)製のもので、今は()びてしまって茶色や緑色に見えている部分もありますが、作られたときは金色に輝いていました。そして、よく見ると、細い線で模様(もよう)が彫られているのがわかりますね。また蝶番(ちょうつがい)というものをつけて、馬が動くたびにパタパタと揺れて、光を反射させて、より(きら)びやかに見せる工夫がされています。
 次に別の馬具の飾金具を見てみましょう!!

馬具の飾金具などの写真です。
馬具に使用されたいろいろな飾金具など

 このように東一本柳古墳からは、杏葉以外にもいろいろな飾金具などが発見されており、ここで紹介したものは一部です。
 よく見ると、この飾金具なども杏葉と同じように、細い線で模様が彫られているのがわかります。そして、同じく金銅製のため、作られた時は金色に輝いており、大変豪華な馬具であったことでしょう。
 このように豪華な馬具が古墳に納められていたということは、当時、この地域に馬がいたという証拠(しょうこ)にもなり、また古墳に埋葬された人物が馬と何らかの関わりがあったことも示していると思われます。そして興味深いことは、この東一本柳古墳がある高台をその(へり)に沿って西に行くと、前回紹介した馬型埴輪が発見された北西ノ久保遺跡にたどり着きます。この高台に馬に関わる文化財が共通して発見されていることは何か意味があったのではないでしょうか。 
 ちなみに、平安時代の法律書『延喜式(えんぎしき)』には「望月牧(もちづきのまき)」という朝廷(ちょうてい)献上(けんじょう)される馬が育てられた牧場が登場します。この「望月牧」は、今の佐久市望月地区、佐久市浅科地区、東御(とうみ)市、小諸市にまたがる御牧原(みまきはら)台地にあった牧場とされていますが、その他の佐久地域でも積極的に馬が育てられていたと考えられます。それは古墳時代にまでさかのぼり、それにより馬に関わる文化財が佐久地域の古墳で多く発見されているのではないでしょうか。
 

 東一本柳古墳から発見された「馬具」の「おうちで社会科見学!!」を楽しんでいただけましたか?
 これで佐久市内の遺跡から発見された文化財を紹介する「おうちで社会科見学!!」は終了です!!
 佐久市にはこれ以外にもたくさんの文化財がありますので、興味があったら調べてみてくださいね!!

お問い合わせ先

佐久市教育委員会文化振興課文化財事務所
住所:長野県佐久市中込2913番地
電話:0267-63-5321

お問い合わせ

社会教育部 文化振興課
電話:文化振興・文化施設係:0267-62-5535  文化財保護・文化財調査係:0267-63-5321
ファックス:文化振興・文化施設係:0267-64-6132  文化財保護・文化財調査係:0267-63-5322

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