佐久の先人事業
更新日:2025年3月9日
お知らせ
第4次佐久の先人(計15名)選定
令和7年3月9日の新佐久市誕生20周年記念式典にて、「第4次佐久の先人」として選定された計15名の方を発表しました。式典にて上映された映像をYoutube「佐久市チャンネル」(外部サイト)にて公開しましたので、どうぞご覧ください。
第4次先人選定にあたっては、これまで市民の方などから推薦いただいた候補者合計154名の中から、佐久の先人検討委員会での協議により選定いたしました。各先人のご紹介は下記のとおりです。
氏名 | 生年 | 没年 | 人物紹介 | |
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1 | 伴野(友野) 友彦 | 1747 | 1834 | 【庶民の教育に尽くした江戸後期の心学者】 神官の家に生まれ、詩や書に優れていました。京都で石門心学を学んだ後、故郷に心学の道場である成章舎を開いて、子どもたちの教育や農民の指導にも力を注ぎました。教えを受けた人は500人にも上りました。 ※心学・・・江戸時代、神道・儒教・仏教を融合し、その教えを平易な言葉と通俗な喩えで説いた学問。 |
2 | 小林 文素 | 1769 | 1826 | 【日本で唯一現存する解体人形の製作者】 代官所に仕えて江戸を往復し、『解体新書』と出会います。その図をもとに人間の臓器を再現した精巧な人形を作りました。この人形は、日本の解剖学史に残る、現存する唯一の貴重な人形です。 |
3 | 木内 芳軒 | 1827 | 1872 | 【塾を開き多くの門人を育てた漢詩人】 江戸で佐藤一斎や梁川星巌ら著名な師に学び、佐久間象山とも親しく交流しました。帰郷後は塾を開き、依田稼堂ら500人以上の弟子を育てました。若き日の渋沢栄一も漢詩の師として彼を慕い、親交を深めました。 |
4 | 比田井 弾右衛門 | 1840 | 1915 | 【山林行政に力を注いだ初代協和村村長】 明治維新後、村の山林が国有化される中、県と交渉を重ねて蓼科山麓の広大な村有林を守り、村の財政や生活を支える基盤となりました。また、学校や病院の設立に尽力し、村会や郡会議員としても広く活躍しました。 |
5 | 北原 丈衛 | 1880 | 1968 | 【南佐久郡立農学校を廃校の危機から救った校長】 生徒不足で廃校の危機にあった南佐久郡立農学校(現在の佐久平総合技術高校)に校長として赴任しました。「率先垂範」を教育理念に掲げ、学校を再建し、文部省から全国の実業学校の中で優良校として表彰されました。 |
6 | 市川 雄一郎 | 1891 | 1950 | 【郷土史研究に力を尽くした教育者】 長野県師範学校を卒業し、中込尋常高等小学校の先生として赴任しました。桜井尋常高等小学校をはじめ、佐久地方の学校で校長を務めました。教職の傍ら郷土史を研究し、『役箪笥から見た下小田切村』などの本を残しました。 |
7 | 井出 幸吉 | 1891 | 1965 | 【広域水道建設に尽力した佐久水道の父】 佐久で集団赤痢が流行する中、畑八村長として村内の水源を提供し、農村地域では初の地方広域水道を建設しました。この功績から、野沢保健所長の瀬下良一郎とともに「佐久水道の父」として称えられています。 |
8 | ガブリエル・ディアス | 1919 | 2010 | 【宣教と幼児教育に長年貢献した神父】 フランシスコ会の神父として1953年に来日し、野沢地区にカトリック教会とカトリック幼稚園を設立しました。宣教師としてキリスト教を伝える一方、園長として個性あふれる幼稚園活動を展開し、多くの園児や地域の人々から親しまれました。 |
9 | 渡辺 静 | 1923 | 1945 | 【特攻に散ったプロ野球選手】 小諸商業学校(現小諸商業高校)の四番打者として活躍しました。プロ野球の朝日軍に入団しますが、学徒出陣で陸軍に入隊します。特別攻撃隊を志願し、第165振武隊として知覧特攻基地から出撃し、特攻で命を落としました。 |
10 | 佐々木 方子 | 1924 | 2000 | 【佐久の音楽の裾野を広げたピアノ教師】 音楽の教員として高校に勤めた後、臼田の自宅でピアノと声楽を多くの子どもたちに教えました。「音楽を専門的に学ぶなら佐々木先生」と評され、国内外で活躍する教え子 を数多く育成し、佐久の音楽の発展に大きく貢献しました。 |
11 | もろさわ ようこ | 1925 | 2024 | 【女性史研究家であり、人間解放を唱えた思想家】 1960年代からジェンダー視点で歴史を掘り起こし、『信濃のおんな』は地域女性史研究の先駆けとして評価されました。郷里に「歴史を拓くはじめの家」を開設し、志を同じくする人々と共に「志縁」による人間解放を唱え、実践しました。 |
12 | 原田 岸子 | 1926 | 2014 | 【やまびこ国体3位入賞に導いた新体操指導者】 野沢南高校などで長年新体操部の指導を行い、1978年やまびこ国体で少年女子チームを第3位に導きました。自他共に厳しく人を伸ばす指導法で知られ、地域の子どもたちや女性に体操を広め、健康意識の向上に貢献しました。 |
13 | 井出 孫六 | 1931 | 2020 | 【時代を切り取り、人間を描き続けた作家】 「戦争を二度と起こしてはいけない」という強い信念を生涯持ち続け、恵まれない状況の中で必死に生きる有名無名の人々を取材して、その生き様を伝えました。作家として小説やルポルタージュなど50を超える著作を残しました。 |
14 | 山川 啓介 | 1944 | 2017 | 【多彩に活躍した作詞家、脚本家、舞台構成作家】 舞台構成や訳詞などの他、NHK「おかあさんといっしょ」でも「北風小僧の寒太郎」をはじめ膨大な数の作詞を手がけ、着ぐるみ人形劇の脚本も担当しました。「さく・わが市(まち)」や校歌など地元にも歌詞をたくさん残しました。 |
15 | 土屋 竜一 | 1964 | 2020 | 【難病と闘い続けたシンガーソングライター】 デュシェンヌ型筋ジストロフィーと闘いながら、ラジオパーソナリティやシンガーソングライターとして活躍しました。車いすのソングバードと呼ばれ、人工呼吸器を装着してからも、楽曲制作や執筆活動を続けました。 |
冊子「佐久の先人」販売
佐久の先人(一)
佐久の先人(二)
【価 格】各500円(税込)
【内 容】佐久にゆかりの先人計53人を選び、その人物についてのエピソードや業績などを紹介した冊子です。
【販売場所】文化振興課、川村吾蔵記念館、五郎兵衛記念館、天来記念館、望月歴史民俗資料館、中央公民館、
浅間公民館、野沢公民館、中込公民館、臼田公民館、浅科公民館、東公民館
※(一)の在庫は残りわずかとなっております。販売場所により完売となっている場合がございますので、詳細は文化振興課(電話:0267-62-5535)までお問い合わせください。
事業の目的
この事業は佐久市にゆかりがあり、全国や世界を舞台に活躍した人、佐久地域の発展に尽力した人など、多くの先人の業績やつながりを紹介し、語り継いでもらうとともに、ふるさとへの愛着や誇りの気持ちの醸成を目的としています。
この事業により市民が地元の新たな魅力を知り、永く語り継いでもらう事と、事業を広く周知する事で、佐久に興味を持って市外から訪れる人を増やし、交流人口の創出につなげることも目指します。
事業の経過
平成21年度 |
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平成22年度 |
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平成23年度 |
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平成24年度 |
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平成25年度 |
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平成26年度 |
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平成27年度 |
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平成28年度 |
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平成29年度 |
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令和2年度 |
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令和4年度 |
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令和5年度 |
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先人の動画配信について
佐久の先人のさらなる周知をはかるため、平成26、29年に作成したCD版「佐久の先人」を音源として使用し、画像については、冊子で使用している写真等をスライド式に編集し、先人の番組を随時作成しています。動画投稿サイトYouTubeで配信しています。
選定された先人の紹介(動画版は更新中)
No. | 名前 | 生没年 | リード文 | 動画 |
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1571~1665年 | 江戸初期に高度な技術と様々な工夫を用い、私財を投じて原野だった地に用水を引いて新田を開発した人。 | ![]() |
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1776~1857年 | 江戸時代に淀川の鯉を佐久まで運び、後に全国ブランドとなった「佐久鯉」の養殖を始めた人。 | ![]() |
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1826~1896年 | 明治初期にアメリカへ渡って西洋の建築技術を学び、故郷の中込に洋風建築の学校を建てた大工の棟梁。 | ![]() |
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1839~1910年 | 幕末から明治にかけ政府の要職をつとめ、龍岡城五稜郭を築城したほか、日本赤十字社の創設等に尽力した人。 | ![]() |
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1865~1930年 | 若くして海外に留学して酪農を志し、開設した西洋式牧場で利益よりも高品質の乳製品製造のため努力した人。 | ![]() |
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1866~1943年 | 教育会自主化運動の先駆けとなり、信濃教育会会長として様々な施策を進め、信州教育の充実に尽した教育者。 | ![]() |
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1868~1928年 | 県会議員や製糸会社社長をつとめるかたわら鉄道会社を起こし、現在の小海線の前身となる鉄道をつくった人。 | ![]() |
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1871~1960年 | 農林畜産業や銀行経営に関わり、長野電鉄の創設や志賀高原の観光開発など信州の経済発展に尽した実業家。 | ![]() |
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1872~1939年 | 書の研究を重ね古典に学ぶ重要性を説き、後進を育成して書道界発展に尽し、現代書道の基礎を築いた書家。 | ![]() |
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1883~1958年 | 明治時代の第1回早慶戦で勝利投手となり、慶応卒業後も野球の発展に努め、野球殿堂入りした人。 | |
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1884~1950年 | 20歳の時に海外へ渡り、理想的な体型をもつ牛の原型像や著名人の胸像制作などで高い評価を得た彫刻家。 | ![]() |
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1896~2001年 | 白樺派の精神を教育に生かし、郷土史の研究や民芸の普及、平和実現のために生涯をささげた教育者。 | ![]() |
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1899~1989年 | 昭和6年から連載を開始した『のらくろ』で、日本中の子ども達の心をつかんだ人気漫画家。 | |
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1903~1990年 | 多くの著書や評論を通して平和や命の大切さを説き、農村女性の解放に生涯をささげた人。 | ![]() |
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1906~2000年 | アンデルセンやムーミンを翻訳して日本に紹介するかたわら、郷里の人材育成と文化発展に力を注いだ詩人 | |
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1910~1977年 | 近代日本のあり方を中国との関係のなかで問い続け、発言や行動を通じ思想界に影響を与えた中国文学者。 | ![]() |
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1910~2006年 | 「農民とともに」を合言葉に集団健診や健康管理などに取り組み、農村医学発展に尽した佐久総合病院の院長。 | |
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1912~1996年 | 家業を営みながら大学を卒業し、戦後政界入りしてからは激務が続く官房長官時代も歌作を続けた文人政治家。 |
2012(平成24)年広報佐久7月号別冊で紹介 市川五郎兵衛の「広報別冊」の紹介文に誤りがありましたので、『佐久の先人』冊子で訂正しました。
No. | 名前 | 生没年 | リード文 | 動画 |
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1721~1756年 | 江戸時代に年貢減免等を訴える全藩一揆を主導したとして処刑され、後に義人として顕彰された農民。 | ![]() |
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1836~1923年 | 種子からのカラマツ育苗技術を確立して苗の大量生産を可能とし、国内外に販路を拡大する礎を築いた人。 | ![]() |
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1848~1902年 | 種子からのカラマツ育苗技術を確立して苗の大量生産を可能とし、国内外に販路を拡大する礎を築いた人。 | ![]() |
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1838~1909年 | 私財を投げ打って尺度統一の建白書を明治政府に何度も提出し、後の度量衡統一に影響を与えた人。 | ![]() |
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1851~1914年 | 明治初期に上京して当時一流の漢学者らに学び、故郷で塾を開いて1,000人を超す教え子を育てた教育者。 | ![]() |
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1858~1936年 | 日本初の公立美術学校の一期生として洋画を学び、夫とともに数々の作品を世に送り出した石版画家。 | |
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1874~1938年 | 銀行に入ってからも苦学を続け、役員として数々の企業・銀行を助けるなど財界で活躍した銀行家。 | ![]() |
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1881~1930年 | 新聞記者から政界入りし、小海線全通期成同盟会の委員長としてその運動に生涯をささげた政治家。 | ![]() |
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1882~1946年 | 考古学の研究や島崎藤村らと交流を重ね、村政や銀行経営にも関与して文化・産業の発展に尽した人。 | ![]() |
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1887~1933年 | 大正時代に店を開いて自転車を普及させ、さらに自動車会社を設立して佐久に自動車交通網を築いた人。 | ![]() |
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1890~1945年 | 激戦地となった沖縄で、死を覚悟する女子学徒らに必ず生き残るよう諭し、多くの命を救った軍医。 | ![]() |
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1894~1976年 | 戦中戦後の苦しい時代、女手一つで8人の子を育てながら3,000人を超える赤ちゃんをとりあげた助産師。 | ![]() |
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1903~1988年 | 村長として水力発電所を建設して産業や雇用を生み出し、町村合併後は助役として浅間病院開設に尽した人。 | ![]() |
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1907~1991年 | 五郎兵衛用水の大改修や御牧原台地への揚水を実現するなど、農業・農村の発展に貢献した政治家。 | ![]() |
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1908~1976年 | 水原秋桜子に師事し、開業医のかたわら佐久の自然などを詠んだ句を発表し、高い評価を得た俳人。 | ![]() |
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1910~1998年 | 製紙会社の山林部門から身を起こし、産業活動と自然との調和を願い国内外で植林事業に力を注いだ経営者。 | |
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1915~2008年 | 浅間病院初代院長として地域医療の発展に尽し、インスリン自己注射など糖尿病治療の礎を築いた医師。 | |
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1927~2003年 | 伝統技法「練上手」を集大成して現代感覚あふれる個性豊かな作品を世に出し、人間国宝に認定された陶芸家。 |
2013(平成25)年広報佐久3月号別冊で紹介
No. | 名前 | 生没年 | リード文 | 動画 |
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1709~1789年 | 「千曲之真砂」などの歴史・地誌研究にも大きな業績をあげた、江戸時代中期の俳人・歴史家。 | |
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1844~1901年 | 明治維新という世相の大きな変革期を俳句一筋に幕末・明治を生き抜いた女流俳人。 | |
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1848~1895年 | 医師として地域に病院をつくり、住民の生活向上をめざして学校を建設し銀行を設立した。 | |
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1861~1921年 | 長野県議会では廃娼運動を推進し、国会議員としては戦争の増税に反対するなど、明治の佐久を代表する政治家。 | |
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1864~1925年 | キリスト教会の牧師としてハワイに渡り、ハワイ日本人移民団に尽くした政治家。 | |
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1869~1934年 | 小学校教員で融和教育の先駆者。晩年には県下初の赤十字少年団を結成させた。 | |
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1881~1961年 | 戦後いち早く福祉事業の推進に取り組み、養老施設・知的障がい者施設を開設した町長。 | |
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1888~1976年 | 髭のおしさんと呼ばれ、ふるさと佐久をこよなく愛し、故郷の人々に心から愛された放浪の詩人。 | |
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1889~1978年 | 佐久における洋画のパイオニアとして、郷土の美術文化に確かな足跡を残した人物。 |
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1894~1966年 | 警廃事件で政治にめざめ、岩村田町・浅間町長として、農業用水の改良など町民の生活向上と民主化に尽くした。 | |
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1896~1951年 | 数多くの童話を執筆する作家であり、宮澤賢治などの才能を見い出した編集者。 | |
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1897~1961年 | 子どもたちの個性を尊重し、自主的・民主的な教育を実施。晩年は農村の立て直しに信念をもって尽くした。 | |
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1899~1931年 | 日本のプロ野球第一号と伝えられている読売巨人軍よりも、13年早く誕生した野球チームの主力選手。 | |
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1902~1986年 | 戦後、一般にも開放された学習院で、院長に選ばれたドイツ語教授。 | |
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1909~1992年 | 油井コレクションの寄贈を受け佐久市立近代美術館が誕生した。佐久市に美術館を贈った実業家。 | |
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1911~1993年 | 初代佐久市長。北陸新幹線・高速道路誘致を働きかけ、今日の佐久市発展の礎を築いた。 | |
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1913~1979年 | 戦後、佐久工業界の起業パイオニア。地元復興のため、工業の誘致を実現し、工業発展に尽力した。 |
2016(平成28)年広報佐久2月号別冊で紹介
先人についてより深く知るために
先人に関連する施設、ゆかりの場所等
先人に関する展示を行っている施設や、ゆかりのある場所、建築物、碑などの一部について、所在地を下記の地図上に示しましたので、紹介文とあわせてご活用ください。その他でも先人のゆかりの地などの情報がございましたら、お寄せください。
より大きな地図で佐久の先人ゆかりの場所、施設(外部サイト)を表示。
先人たちが生きた時代
先人たちが生きた時代と、その時代の主なできごとをまとめた年表を作成しましたので、紹介文とあわせ、先人たちが活躍した時代背景や、先人同士の関係を知る手がかりとしてください。
佐久の先人(第一次選定・第二次選定)年表(PDF:490KB)
先人関係の書籍等
紹介文の限られた文字数の中では、紹介しきれなかった先人の業績やエピソードが他にもたくさんあります。
郷土の歴史や先人の著書、関連書籍が市立図書館及び、臼田文化センター内などに多数所蔵されていますので、ぜひお立ち寄りください。
関連サイト
下記のサイトなどで、先人に関する書籍や資料のうちデジタル化されたものをインターネット上で見ることができます。
比田井天来の『学書筌蹄』(外部サイト)や、大井富太に関係する
『佐久鉄道案内』(外部サイト)などが閲覧可能。
[市川又三の建白書「度量衡之儀」(外部サイト)」や
「尺度之再議」(外部サイト)などが閲覧可能。
- 国土変遷アーカイブ
戦後から現在までの空中写真を閲覧可能。【例】岩村田(1946年/1975年)、市役所周辺(1948年/1975年)、中込・野沢(1948年/1989年)、臼田(1948年/1980年)、浅科(1946年/1975年)、望月(1946年/1975年)
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お問い合わせ
電話:文化振興・文化施設係:0267-62-5535 文化財保護・文化財調査係:0267-63-5321
ファックス:文化振興・文化施設係:0267-64-6132 文化財保護・文化財調査係:0267-63-5322