このページの先頭です
このページの本文へ移動

令和6年度 佐久市ふるさと創生人材育成事業 中学生海外研修(モンゴル国)報告

更新日:2024年11月5日

令和6年度 中学生海外研修(モンゴル国)報告 引率団長 藤巻和也

1 研修の概要

(1)目的

次世代を担う青少年の人材育成事業の一環として、モンゴル国の一般家庭や遊牧民宅のゲルでのホームステイ、子ども交流会を通して相互理解を深め、モンゴル国の風土や文化を肌で感じることで国際的視野を広げることを目的とする。
なお、本事業は、平成22年から実施しているが、途中新型コロナウイルス禍等による中断があったため、今回は、令和元年度以来、5年ぶり通算11回目の開催であった。

(2)日程

令和6年7月30日(火曜日)から8月6日(火曜日)までの8日間

(3)研修地

モンゴル国
・ウランバートル市スフバートル区:在モンゴル日本大使館、スフバートル区役所、日本人墓地公園、ガンダン寺、スフバートル広場、ノミンデパート、市場、ホストファミリー宅ほか
・テレルジ国立公園:ツーリストキャンプ場、チンギスハーン巨大像パーク、遊牧民宅ほか

(4)参加者

研修生:市内中学生8名(1年生1名、2年生5名、3年生2名)
引率者:2名(佐久市・佐久市教育委員会職員)
添乗員:1名(株式会社日本旅行佐久平サービス)

2 事前研修

6月5日(水曜)から7月20日(土曜)までの間、週1回のペースで合計8回に渡って、事前研修を行った。事前研修では、研修日程や研修期間中の留意事項等について説明を伺ったほか、研修生1人ひとりの役割分担を決めたのち、現地でのこども交流会で披露する佐久市の紹介及び出し物(歌、ゲーム)並びに生徒たちがモンゴルで行う研究課題について、内容決定のための話し合いやその練習に専ら取り組んだ。
引率者としては、自らも研修チームの一員であることを自覚し、信頼関係が築けるよう、また単なる同行者とならないよう、積極的に子どもたちに関わることを心掛け、毎回の冒頭挨拶の中でモンゴルに因んだ話題(モンゴルの小咄、雑学ランキング、新聞コラム)を披露し、モンゴルの事物に関心を持たせるよう工夫し、さらに話し合いや歌の練習にも積極的に参加した。
事前研修は、毎回のように宿題が出されたり、終了予定時刻の午後9時を過ぎることもあったりと、研修生にとって少なからず負担になっていたと思うが、回を重ねるごとに、お互いの気持ちが通じ合い、チームワークの醸成や期待感の高まりが手応えとして感じられ、事前研修を行うことの意義や効果を実感した。
7月20日(土曜)に行われた壮行会では、市長、教育長をはじめ、教育委員、ふるさと創生人材育成事業実行委員会の委員らをお招きするとともに、研修生の保護者の方々にも出席いただき、エストニア共和国への研修生とともに、グループ研修課題の発表に続き、研修先で披露する歌(RPG)の斉唱を行った。自信と希望に満ちた研修生の歌声は、仲間と一緒に不安を克服し、希望に満ちた旅に出掛けようという主旨の歌詞と相まって研修の成功を予感させるものであった。

3 第1日目 7月30日(火曜日)

佐久平駅にて、中澤実行委員長、生涯学習課の職員、研修生の保護者、歴代の引率者の方々の出席のもと出発式が行われ、引率者の立場から、研修生に対し、これから起こる一つひとつの出来事や経験を大切にして欲しいこと、また、失敗を恐れずに様々な物事に果敢にチャレンジして欲しいことを伝えた。
研修生は、大勢の見送りの方々を前に、幾分緊張の面持ちであったが、一様に明るい表情で保護者らに暫しの別れを告げていた。
その後、新幹線あさま号、京成スカイライナーを経由し、成田空港に到着。予め送っておいたスーツケースの受け取り、手荷物検査、保安検査、出国審査などの諸手続きを慌ただしくも滞りなく済ませ、予定どおりミアットモンゴル航空に搭乗した。
飛行時間は、時差を含め凡そ6時間。現地時間18時55分にチンギスハーン国際空港に到着した。入国審査に当たり、研修生たちに順次空いている窓口で手続きをさせたところ、子ども単独の渡航と誤解され戸惑う一幕も。錆びついた脳みそから、何とか英単語を絞り出しながら切り抜け、今更ながら、世界共通語である英語の重要性が身に染みた。
空港では、現地スタッフのテムジン、チングンの兄弟とスフバートル区役所職員でチングンの妻ボヤ氏、7年前の子ども交流で佐久市に訪れたことのあるイスイ氏の出迎えを受け、マイクロバスでウランバートル市内のフラワーホテルに向かう。
因みに、テムジン、チングンの両氏は、若いながらも手広く事業を手掛ける実業家で、佐久市とスフバートル区の交流事業に永年に渡って携わられた功労者。また、イスイ氏は、政府の奨学金選考の狭き門を見事突破し、9月から日本の大学で学ぶ予定とのことであった。
午後8時近くになっても一向に日が暮れないことに違和感を覚えながら、やがて市街地に近づくにつれ、有名な渋滞に巻き込まれた。交通ルールに対する認識が日本とは大分異なるようで、互いに道を譲り合う様子はなく、歩行者も隙を見て大胆に横断する。無秩序で混沌とした交通事情に、軽いカルチャーショックを受けた。なお、周囲の自動車は、ほとんどが日本製で、プリウス、アクア、ランドクルーザーをメインに、クラウンやレクサスが散見されるなど、圧倒的にトヨタ車が多かった。
ようやく9時近くになってフラワーホテルに到着。時間も時間だったので、研修生がお世話になるホストファミリーが既に迎えに来ており、息をつく間もなく引き渡しとなった。お互いに初見であったが、ホストファミリーの優しげで配慮が行き届いた雰囲気に、研修生の緊張も一気に緩み、安堵した表情で挨拶を交わしていた。

第2日目 7月31日(水曜日)

午前7時30分にフラワーホテルに集合し、マイクロバスで市内見学に向かう。車中では、専らホストファミリーの話題。昨夜は遅い時間であったにもかかわらず、外食に連れて行っていただくなど、早速、手厚いもてなしを受けた様子。コミュニケーションに際しては、翻訳アプリを活用したため、特段支障は無かったと。中学生の適応力の高さに驚くとともに、ICT技術の進展により、かつては高く聳えていた「言葉の壁」が、今や異文化交流の支障となり得ない程に、低くなっている現状に気付かされた。
間もなく、スフバートル区役所に到着し、幹部職員の皆さんの出迎えを受けた。住基・戸籍関係と思しき執務室を覗いてみると、窓口のアクリル板で仕切られた内側には、パソコンが置かれ、頭上に受付番号がデジタル標記されるなど、日本の役所と比べると圧倒的に書類が少なく、ICT化が進んでいる印象。その後、応接室に通され、アルタンゲレル区長代理と面会。子ども交流事業の受入れについて感謝を伝えるとともに、市長からの親書を手渡した。
続いて、日本人墓地公園に向かう。郊外に進むにつれ、道路の舗装が悪くなり、また、簡素なつくりの建物が緑の丘を覆い尽くさんばかりの光景に出会った。同行したテムジン氏によれば、都市部の生活を求めて、地方から多くの人口がウランバートル市に流入しており、景色も数年前とは一変しているとのこと。急激なスプロールの進展に、上・下水道をはじめとするインフラ整備が間に合っていない状況が伺えた。
日本人墓地公園は、第2次世界大戦後、当時のソビエト連邦により、モンゴルで抑留されたまま亡くなった日本兵の墓地の跡(現在、遺骨は全て日本に返還されている)で、日の丸を象ったモニュメント、円形の広場及び霊堂が設けられていた。霊堂内の観音像に線香を手向け、その後、モニュメントや円形広場まで徒歩で移動。
研修生たちは、理不尽にも異郷に抑留され、望郷の念に駆られながらも帰国を果たせなかった抑留中死没者の無念の思いに寄り添いながら、モニュメントに向かい、心を込めて君が代を斉唱してくれた。子どもたちの澄んだ歌声は、円形の広場を囲うように建てられたコンクリートの壁に反響し、僅か8人の歌声とは思えない程に大きく響き渡った。これまで聞いたどんな国歌斉唱よりも美しく、モンゴルの大地に沁み透るような歌声を聴きながら、抑留中死没者の方々を悼み、彼らの望郷の念や無念の情に思い至ると、思わず涙がこぼれ、人知れず拭った。
モンゴルにおける日本人墓地の存在を知ったのは、恥ずかしながら、この研修が発端であり、研修に参加しなければ、一生、気に留めることは無かったかもしれない。
戦後79年が経過し、先の大戦を巡る痕跡が風化しつつある今、日本の子どもたちがモンゴル国における抑留中死没者の存在と背景を学び、現地を訪れることで、一人ひとりの記憶に留めていくことは、意義あることと考える。そして、祖国のために命を捧げた先人の存在を忘れず、心に銘記していくことこそが最大の供養でもある。叶うならば、この事業が続く限り、必ず行程に入れていただくことを願う。
再び、ウランバートル市内に戻り、在モンゴル日本大使館を訪問。スマートホンを玄関で回収されたり、写真撮影を制限されるなど、ガードの堅さに驚かされながらも、菊間次席、佐久総合病院に勤務経験のある北澤医務官らにご対応いただいた。
その後は、昼食を挟み、国会議事堂前のスフバートル広場及びガンダン寺の見学や、ノミンデパート及びマーケットのウインドウショッピング、モンゴル民族歌舞の鑑賞など、市内観光を満喫した。途中、研修生たちは、露店で揃ってサングラスを購入し、上機嫌で記念写真を撮る。皆で同じ物を身に着けることで一体感がますます高まり、海外で自由を謳歌できる解放感と相まって、時間の経過とともに気分が高揚していくのが手に取るように分かった。
なお、この日も研修生たちは、昨日と同じホストファミリー宅でホームステイを行った。

第3日目 8月1日(木曜日)

午前8時にフラワーホテルに集合。明け方、激しい雷雨があったが、その後は幾分回復し、出発時には小雨模様であった。
この日は、スフバートル区側の研修生8名も一緒にマイクロバスに乗り込み、ホームステイ先であるテレルジ国立公園内の遊牧民宅へ向かう。両国の研修生たちは、互いに打ち解けるには至らず、車内でも身内同士で固まって話をしていた。
最初の遊牧民宅(ゲル)には、午前10時頃に到着。以降、数キロメートルづつ離れた遊牧民宅に、研修生たちを佐久市・スフバートル区混合のグループに分け、順次預けていった。
草原に佇む遊牧民のゲルに近づくためには、未舗装の道路(前車の轍)を通らざるを得ず、朝からの雨でぬかるみ、深く洗堀された轍を大胆に避けながら進むマイクロバスは、あたかもテーマパークのアトラクションのように左右に激しく揺れ、時に恐怖を覚えるほど大きく傾いた。車酔いの心配をする余裕がないほどの激しさで、車酔いを訴える研修生は、皆無であった。
ホームステイ先の遊牧民宅は、いずれもホストファミリーの主人のゲルが1棟、避暑等で帰省している子どもたち家族が暮らすゲルが数棟、それらに加えて、研修生が滞在させていただくゲルが1~2棟というように、複数棟で構成されているのが一般的で、主人のゲルの内部には、伝統的な家具の間に薄型テレビなどの家電が、当たり前のように並んでおり、昔ながらの素朴な生活というイメージとは大分異なっていた。因みに、電源は、太陽光発電とのこと。
研修生たちと別れ、引率者、現地スタッフ及びスフバートル区役所の担当職員の一行は、明日、子ども交流会を行うツーリストキャンプ場に一足早くチェックイン。
時折、雨脚が強くなる中、屋根付きのテラスで談笑して過ごす。その後、分散してゲルにて就寝。ベットが置かれた広めのテントといった印象で、ベットに横になって眠りにつくと、暗闇の中、雨音や牛や馬の鳴き声が思いのほか大きく響き、旅情をそそられた。

第4日目 8月2日(金曜日)

朝から雨模様で、雨音と肌寒さで目が覚める。ツーリストキャンプ場のスタッフが気を利かせてくれ、ゲル内のストーブに火をくべてくれた。
朝食後に、ホームステイ先の遊牧民宅に研修生たちを迎えに行く。車中で研修生たちに遊牧民宅でどのように過ごしていたか聞くと、自分たちが使用するトイレの穴を掘ったり、薪拾いや食事の手伝いをしたグループに、川遊びや羊の骨を使った室内ゲームに興じていたというグループなど様々。食事やトイレなど、都市部のホームステイ先とは勝手が異なることもあったと思うが、特段の抵抗もなく受け入れていた様子であった。
ツーリストキャンプ場に戻り、昼食を摂ったのち、天候の回復を願いながら、研修生全員で簡単なゲームをしていると、午後3時頃になって漸く雨が上がり、乗馬体験を行うことができた。
今回の参加者の中には、乗馬を楽しみにしていた研修生も多く、降雨により実施が危ぶまれただけに、喜びもひとしおであった。研修生それぞれ2~3回づつ引き馬による乗馬を体験。一様に満足した様子であったが、都市部の育ちとはいえ、馬を自由に乗りこなすモンゴルの研修生との力量の差は歴然で、バックグランドの違いを実感した。
その後、キャンプ場近くの屋外コートを目敏く見つけた研修生たちの要望により、急遽、バレーボールとバスケットで日蒙対抗の親善試合を行うこととなった。ともに経験者がいる中で、研修生たちは真剣そのもの。バスケットでインターハイ出場経験があるというテムジン氏も率先して加わり、メンバーを何度も入れ替えながら、時を忘れて大いに盛り上がった。そもそも予定に無かったこの即席のスポーツ交流が、結果的に佐久市とスフバートル区の研修生の互いの距離を縮める上で絶大な効果をもたらし、この上なく良い雰囲気のまま、子ども交流会に移行することができた。
午後7時に馬頭琴とホーミーの演奏を聴きながら夕食。その後、テラスに移動して、本研修のメインイベントでもある子ども交流会を行った。佐久市とスフバートル区が交互に出し物を披露するスタイルで進めることとし、最初は、スフバートル区側から伝統舞踊の披露。続いて、佐久市から持参した紙パネルを使っての佐久市の紹介。照明が少なく、通訳を介しての発表だったので、やりにくさがあったものの、モンゴルの研修生は、真剣な面持で説明に聞き入っており、佐久市の特徴や風土、文化を伝えるという所期の目的を果たすことができた。その後は、賑やかに歌声の交換会となった。
夜も更けたところで、最後に、スフバートル区側の研修生エグシグレンさんから日本語で手紙の朗読があった。彼女は、昨年度の交流事業で、研修生として佐久市に訪れた経験がある14歳の中学生で、手紙には、昨年、この交流事業に参加したことで、それまで以上に日本への憧れが膨らみ、遂には日本へ留学することが目標になったという主旨の内容が綴られていた。読み終えた手紙を見せてもらうと、几帳面な文字で丁寧に平仮名が記されており、発音も含め、全て独学で学んだとのこと。
屈託のない笑顔の可愛らしい少女が垣間見せた、思いがけない程の芯の強さと志の高さに驚かされるとともに、この交流事業が、幼い頃から日本の文化に親しみ、日本に憧れ、さらには日本で夢を叶えようとするモンゴルの子どもたちの希望の受け皿となっていることに強く心を打たれた。
そして、これ程までに、この交流事業に大きな期待を寄せているモンゴルの子どもたちが存在することを、多くの佐久市民が知るべきであるし、また、その期待に応えられる事業であり続けられるよう努めることが、スフバートル区と姉妹都市協定を締結した佐久市の責務であると強く感じた。

第5日目 8月3日(土曜日)

午前7時に起床。前日、前々日と、ツーリストキャンプ場にいる間は、結局のところ天候に恵まれず、圧巻だと聞いていた夜空の天の川を眺めることはできなかった。
この日の天候も曇りがちで時折陽が差す程度。周囲の山々が薄い霧で覆われ、8月初旬にもかかわらず、秋のような体感。気温は14度であった。
朝食後、近くのツーリストキャンプ場に移動してゲルづくり体験。移動の車中では、佐久市の研修生の中から歌声が上がり、やがて合唱に。歌い終わると今度は、スフバートル区の研修生が歌い始め、その後も競い合うようにして歌声の交換が続いた。昨夜の交流会の第2幕といった様相で、楽しかった交流会の余韻を楽しんでいるように思えた。
ゲルづくり体験のゲルは、思いのほかミニサイズで、通常は倉庫として使用するものとのことであったが、伸縮自在の格子状の骨組みや放射状に垂木が配されている様子など、構造を理解するには十分であった。雨後に舞い立つ羽蟻の多さに閉口しながらも、皆で協力して僅か30分程度で完成。居住用のものだと慣れた大人が2人掛かりで2時間程度掛かるとのことであった。
再びツーリストキャンプ場に戻り、昼食を摂った後、ウランバートル市内のホストファミリー宅に向け帰路に就く。途中、亀石と呼ばれる巨石を経て、チンギスハーンの騎馬像を見学。騎馬像は、高さ40メートルにも及ぶ巨大なもので、馬のたてがみ部分が展望デッキとなっており、地下には、歴史博物館が設けられるなど、一帯がテーマパークとして整備され、多くの観光客で賑わっていた。
騎馬像の中の狭い螺旋状階段も大変な混雑で、階段を降る人の流れをすり抜けながら登りきると、急に視界が開け展望台に到着した。展望台の突端からは、遠くの山々まで見渡せたが、生憎の曇り空で周囲は薄暗く、絶景とは言い難かった。
その後は、暫くテーマパーク内の歴史博物館の見学や、ラクダ乗り体験、弓矢体験などをして過ごしたが、激しい夕立に見舞われたため、慌ててその場を切り上げバスに乗り込んだ。
車中で、佐久市の研修生たちがLINEでやり取りをしていることを知ったモンゴルの研修生たちから、自分たちもLINEのアプリケーションをスマホに入れるので、佐久市の研修生と友達登録をしたいとの申し出があり、お互いにLINE登録をし合う一幕も。言葉の壁は、前述したとおり翻訳アプリでクリアできるとのことで、全く支障にならない様子。如何にも令和を生きる子どもらしい交流のあり方と、改めて感心するとともに、異国で暮らす子どもたち同士が、国境を越えていとも簡単に繋がってしまう現実には、ただただ驚くばかり。情報技術についての知識やスキルがアップデートできていない身としては、最早付いていけない現実を突きつけられたようで、空恐ろしささえ覚えた。
午後7時頃にフラワーホテルに到着。ホテルには、再びホストファミリーが迎えに来ており、この日も、研修生たちはスフバートル区の研修生たちの自宅でホームステイとなった。

第6日目 8月4日(日曜日)

午前6時30分起床。研修生は、終日ホストファミリーと過ごす予定であるため、引率者の日程は基本的にフリー。このため、テムジン氏ら現地スタッフに誘われて、郊外で行われているミニ・ナーダム祭に出掛けた。
会場には、9時前に到着。遥か地平線まで続く一面の草原に、抜けるような青空と、ようやくモンゴルらしい風景に出会うことができた。
テーマパークのパビリオンのように各自治体等が展示用のゲルを設けており、それぞれが工夫を凝らして、民族衣装の展示や伝統楽器の演奏等を披露していた。また、会場には多くの観光客が訪れており、欧米人の姿も目立った。
軍のゲルを皮切りに、スフバートル区、カザフ族のゲルを順次回っていくと、それぞれ奥の方に通され、馬乳酒をはじめ、肉のスープ、揚げ餃子等の料理や菓子、時には刻み煙草のもてなしを受けた。特に、馬乳酒は、ゲルを訪れる度に歓迎の印としてドンブリに並々と注がれたものを頂戴したが、体調に自信がないため、味見程度に留め、それ以上は遠慮させていただいた。聞けば、馬乳酒のアルコール濃度は、1~2%程度で、酒というよりも健康飲料(カルピスの原型とも言われる)として老若男女を問わずに飲まれているとのこと。口に含むと強い酸味と独特の匂いを感じたが、日本の味噌汁や漬物のように、いかにも家庭ごとに個性がありそうな味わいであった。
ゲルの見学をしているうちに、競馬のスタート時間が迫っているとの情報が入ったので、慌てて自動車に乗り込み、スタート地点に移動。スタート地点は、会場から20km程度離れた一面の草原で、取り立てて施設はなく、緑色のネットで簡易的なゲートが設けられているのみ。
暫く様子を見ていると、草原のかなたから30騎位の騎馬の一団が迫ってきたかと思うと、あまり呼吸を整える間もなく、ゲート内に集合し、号砲と共に一斉にスタート。先導車に誘導され、あっという間に芥子粒くらいまで小さくなってしまった。
意外な程のあっけなさに感慨に浸る余裕はなかったが、折角の機会ということで、即座に自動車で追い掛けていただき、暫し並走。テムジン氏によれば、騎手は皆少年で、モンゴルの子どもたちにとって、ナーダムの競馬の騎手になることは憧れの的であると。目を凝らして見ると、先頭の馬は、騎手を乗せておらず、騎手が落馬することは間々あるとのこと。仮に馬だけが上位でゴールインしても、ペナルティで何位か繰り下げになるとのことであった。
その後、ウランバートル市内に戻り、食事、買い物等をして過ごし、夜には、スフバートル区議会のエンフボルド議長らと会食。議長からは、姉妹都市協定を機に、議会としてもスポーツ等の交流事業を推進したいとの意欲が語られた。
因みに、議長は、アメリカの大学に留学経験があるとのことで、通訳を務めるテムジン氏が離席している間、流暢な英語で話し掛けられる。当方からの英単語を繋げただけの拙い受け答えを巧みに拾っていただき、何とか会話が成立すると、安心感から気持ちもほぐれ、語彙力不足を棚に上げ、暫し英語でやり取り。家族の状況など、英検4級程度(?)の他愛のない会話であったが、何かにつけて通訳を介さないと意思疎通が図れなかったことによるフラストレーションが些かながら解消された思いであった。

第7日目 8月5日(月曜日)

午前7時に起床。天気は快晴。朝のうちは気温も上がらず、空気も乾燥しているため、爽やかな目覚めであった。本日も研修生は、終日ホストファミリーと過ごす予定であるため、帰りの荷物を整理しながらゆっくり過ごす。
午前10時にイスイ氏に迎えにきていただき、午前中は、マーケットで買い物をしたり、スフバートル駅を見学したりした。スフバートル駅に乗り入れている鉄道は、シベリア鉄道(正確には「モンゴル縦貫鉄道」と呼ばれる。)で、モスクワまでは4泊の行程であると。旅客用というよりも、主に天然資源の輸出に使われているとのことで、日に何度かは、コンテナのような貨車が延々と連なって走り抜けていく光景が見られるとのことであった。
駅舎に入ると、天井から大きなシャンデリアが下がる、立派な吹き抜けの待合室があった。駅員の姿は見えず、券売機も改札も無いので、日本の駅とは大分印象が異なる。待合室とホームを物理的に隔てるものがないので、待合室からホームへと、そのまま通り抜けることができた。首都の中央駅であるにもかかわらず、待合室やホームに乗客の姿はまばらで、閑散とした駅の佇まいは、モンゴルにおける鉄道の価値と存在感を体現しているようであった。
正午に、市内のレストランに移動し、前区長のボロルマー代議士と会食。ボロルマー氏は野党、民主党の代議士で、6月に行われた総選挙で初当選したばかり。モンゴルでは数少ない女性代議士であり、選挙には自信があったが、与党の地盤は固く思いのほか苦戦したと。選挙後、与党から要職への就任の打診もあったが固辞したとのことで、与党の政権運営について、批判すべきは批判するなど自分のスタンスを貫きたいなどと話す。
同行の日本旅行佐久平サービスの水間氏から、在モンゴル日本大使館の医務官として、今年赴任した北澤医師は、佐久総合病院に勤務経験があり、佐久市とゆかりがある人物であることを伝えると、非常に関心を持たれ、近いうちに会えるようアポを取りたいなどと話す。
会食後は、2022年に開館したというチンギス・ハーン国立博物館を訪れるなどして過ごし、午後6時30分からは、シャングリラホテルのビュッフェにて、佐久市とスフバートル区双方の研修生が参加して最後の交流会。
研修生たちは、ホストファミリーに送られ次々と会場に姿を見せた。疲れた様子はなく、テンションは高めで、おしゃべりが止まらない。聞けば、多くの研修生が、ホストファミリーの好意により市内の遊園地に連れて行ってもらい、直前まで皆で一緒に遊んでいたと。重ねて、前日を含めた2日間の生活の様子を尋ねると、ミニ・ナーダム祭に連れて行ってもらった者、誕生日を祝ってもらった者、映画に連れて行ってもらった者など様々。中には、ホストファミリーの伝手で、モンゴルでは高名なテニスの元チャンピオンとテニスをさせてもらった研修生もいた。
ホストファミリーの心の籠ったもてなしに一同感激した様子で、研修生の中には、今年の秋に、スフバートル区の研修生が佐久市を訪れた際には、今度は、自分がホストファミリーになってお返しをしたいと話す研修生もいた。
交流会には、アルタンゲレル区長代理にもご出席いただいたので、研修生たちが、ホストファミリーの皆さんの手厚いもてなしを受け、非常に充実した研修となったことに感謝を伝えるとともに、この数日間の研修の中で印象深かった出来事や感想について触れながら歓談した。
研修生たちは、賑やかに語らいながら、思い思いに料理やデザートを堪能し、満足した様子。やがて交流会も終了の時刻を迎え、全員で記念撮影。
最後に、佐久市とスフバートル区双方の研修生が向かい合って一人づつ感謝と別れの言葉を交わした。別れの場面では、スフバートル区の研修生の方が感傷的になっており、涙を見せる姿も。テムジン氏によれば、この研修期間中、もう一度佐久市に行かせて欲しいとスフバートル区の職員に懇願していた研修生が何人もいたとのことであった。

第8日目最終日 8月6日(火曜日)

空港での出国手続きの時間を見越して、起床時間を3時30分、ロビー集合を午前4時15分と定めたが、寝坊が許されない緊張感からか目が冴えて眠れず、午前3時前から身支度を始めた。集合時間の間際になって、一部の研修生にトラブルが発生し、冷や汗をかく思いをしたが、無事に解決。予定通りにホテルを出発することができた。
外は暗く雨模様で、時折夕立のように雨脚が強くなった。空港までの車中は、往路と異なり総じて無口で、モンゴルを離れる寂しさと相まって暗く沈んだ空気の中で車窓に当たる雨音だけが響いていた。
空港に到着しスーツケースを預けると、テムジン氏、イスイ氏、ボヤ氏との別れ。研修生たちの出国手続きを滞りなく進めることに気を取られていたため、唐突に別れの時が来たことに気付き、心が落ち着かないまま記念撮影。
単なるツアーコンダクターではなく、通訳から研修生の遊び相手に至るまで、日程全般に渡って献身的に支えてくださった現地スタッフの方々には、ただただ頭が下がるばかり。思いを伝えようにも、一言ではとても言い表せず、万感の思いを込めて一人ひとりと握手を交わすと、感謝と惜別の情で胸が一杯になった。研修生たちも思い思いに感謝と別れを告げていたが、明るい言葉かけとは裏腹に、一様に寂しげな表情が印象的であった。
出国審査を済ませ搭乗ゲートに移動すると、いつの間にか雨は上がり、周囲も明るくなっていた。ミアットモンゴル航空の搭乗機は、当初聞かされていた予定よりも早く、午前7時に日本に向け離陸した。
飛行中、研修生のほとんどは、研修期間中の疲れと睡眠不足を全て取り戻すかのように熟睡しており、眠さのあまりCAの呼びかけにも応じることができず、機内食を食べ損なった研修生もいた。
日本時間の午後1時に成田空港に到着。疲れた足を引きずるようにしてターミナルの長い廊下を歩いていると、歩みを進めるごとに、張りつめていた緊張の糸がほぐれていくことを実感した。研修生たちも、疲労の色は隠せないものの、表情は柔らかく、無事に日本に帰ってこられた安堵感が漂っていた。
入国手続きは丁寧且つスムーズで、モンゴル国における出入国審査の厳格さとの相違が際立った。成田空港への到着時間が早まり、以降の予定も大幅に前倒しとなったものの、佐久平駅に迎えに来られる保護者の方々の都合にも配慮し、駅等で時間調整をしながら帰路に就くこととした。
途中、京成上野駅からJR上野駅までの間を徒歩で移動したが、改札を出た瞬間に、想定を超えた猛烈な熱気と湿度に襲われ、一気に汗が噴き出した。時差は僅か1時間に過ぎないが、季節が大幅に巻き戻されたようで、モンゴルの快適な気候に慣れてしまった体には、体感ギャップの激しさが堪えた。
佐久平駅には、予定通り午後6時16分に到着。改札の外には、中澤実行委員長をはじめ、教育委員会の職員、研修生の保護者の方々といった懐かしい顔ぶれが見え、互いの無事が確認できると、早速、帰着式を行った。
帰着式では、研修生の代表から出迎えの方々にお礼の挨拶を述べたが、モンゴルでの思い出を語り、快く送り出してくれた家族や、温かく迎えてくれたホストファミリーへの感謝の気持ちを言葉にするうちに、感情が込み上げ、涙と一緒に溢れ出す場面も。多くの研修生たちも堪えきれずに共に涙を流し始め、帰着式に参加していた一同が、子どもたちの純真な気持ちに心を打たれた。
そして、敢えて語らずとも、モンゴル国での研修が、子どもたちにとって、如何に達成感をもたらし、感性を育んだか、また、仲間と協調し、様々なことに挑戦した経験が、子供たちの成長にとって、如何に貢献したかを裏付けるエピソードとなった。

4 おわりに

8日間に渡って行われたモンゴル国での本研修は幕を下ろした。
慣れない食事や日本と異なる風呂・トイレ事情、見知らぬ外国人宅でのホームステイなど、事前の心配や心細さとは裏腹に、研修生たちは、ホストファミリーや現地スタッフの善意と献身に支えられ、スムーズにモンゴルでの生活に適応したばかりか、それぞれが思い描いていた自己実現が叶うよう、全力で、ひたむきに、しかも心から楽しみながら打ち込むことができた。
この間、大きな怪我や災害に見舞われることなく、また、一人も体調不良者を出すこともなく、無事に研修を終えられたことは、引率者として安堵の一言に尽きる。
感受性豊かで、活力に満ちた研修生たちと、共に時を過ごす中で、異国の文化を目の当たりにした驚きや発見、感動を共有できたことは、決して上書きできない鮮やかな記憶として胸に刻まれるとともに、公務員生活の終盤に差し掛かった身にとって、心の弾力性を取り戻すのに十分な程に刺激的であった。そして、研修生たちの瑞々しい感性や湧き上がる好奇心に接し、未知なるものや困難なものと向き合う際の心の有り様を見つめ直さなければならないと自ら省みた。
このように考えると、研修を通して学びを深め、行動変容を促されたのは、必ずしも研修生だけとは言えず、伸びしろが無いと諦めるには、未だ少し早いのかもしれない。
研修生たちも、自分自身の目で見、耳で聞き、肌に触れ、心で感じたもの、つまりインプットしたものを一旦心の中で整理し、印象に残ったものや、心に響いたものがあれば、自らの心の内側だけに留めずに、興味や関心の赴くままに探求を深めたり、もう一段ギアを上げ新たな挑戦へと繋げていって欲しい。
思えば、モンゴルで出会ったイスイ氏やエグシグレンさんも、この交流事業をきっかけに、憧れが目標に変わり、目標を達成するための努力を重ね、今や明確な進路を見据えて夢の実現に向けて歩み始めている。その意味では、佐久市の研修生たちにしてみても、気づきや関心の持ち方次第で、今回の研修が人生の転機になることは、十分あり得ることであるし、そのくらい可能性に満ちたプログラムであると言っても過言ではない。研修生の未来と、これからの活躍に大いに期待したい。
結びに、このような機会を与えていただいたことに厚く御礼を申し上げるとともに、この研修を成功に導くため、陰となり日向となりご尽力をいただいたふるさと創生人材育成事業実行委員会事務局(生涯学習課)をはじめ、副団長の吉澤保健師、日本旅行佐久平サービスの水間氏、モンゴル国の現地スタッフの方々など、お世話になった全ての皆さんに心からの感謝を申し上げ、筆をおきたい。

お問い合わせ

社会教育部 生涯学習課
電話:0267-62-0671(生涯学習係・青少年係)0267-66-0551(公民館係)
ファックス:0267-64-6132(生涯学習係・青少年係)0267-66-0553(公民館係)

お問い合わせはこちらから

本文ここまで

サブナビゲーションここから
ページの先頭へ