令和元年度 佐久市ふるさと創生人材育成事業 中学生海外研修(エストニア共和国)報告
更新日:2019年9月20日
令和元年度 中学生海外研修(エストニア共和国)報告 引率団長 茂原啓嗣
~* Seeing is believing *~
1 研修の概要
(1)目的
次世代を担う市内に在住する中学生が、佐久市と姉妹都市協定を締結しているエストニア共和国サク市を訪問し、同世代との交流、世界文化遺産のタリン旧市街を見聞、また、ホームステイを通して、歴史・文化・生活習慣の違いを体感するとともに、意思疎通を図るコミュニケーション力を高めて国際的視野を広げることを目指す。
(2)日程
令和元年8月1日(木曜日)から令和元年8月8日(木曜日)までの8日間
(3)研修地
エストニア共和国
- サク市(サク郡):市役所、幼稚園、ギムナジウム学校、クルトナ学校訪問、ギムナジウム新校舎(旧市役所)、一般家庭(ホームステイ)
- タリン市:旧市街
- サーレマー島:キピ・コービキャンプ場、クレサーレ市、ソルベ灯台、カーリ・クレーター
(4)参加者
研修生:市内中学生8名(1年生3名・2年生5名)
引率者:2名(佐久市職員)
添乗員:1名(日本旅行佐久平サービス)
2 事前研修
初めての顔合わせ、学校も学年も異なる8名の研修生。毎週火曜日の午後7時から9時までの計7回の事前研修を行った。
時間はあまりない中、この期間で英会話や英文による佐久市の紹介、それぞれの場面であいさつを行う役割、そして交流会用のゲームや歌を披露しなければならない。
これらは、研修生がエストニア共和国において自分の言葉で発表するものであるから、かなり緊張するものであろう。
研修生は、実時間が少ない中で淡々とそれらをこなし形にしていく。自らの意思で応募したこともあるのか、しっかりと取り組んでいる。
壮行会では、緊張のなかでも、海外研修の参加動機や目標を教育長、実行委員長、保護者等の前で堂々と発表した。モチベーションの高さを感じる。
3 第1日目 8月1日(月曜日)
出発式での励ましの言葉を胸に、新幹線に乗り込む。上野駅で京成スカイライナーに乗り換え成田空港までは生徒同士で談笑をし、不安は無さそうだ。
成田空港に着き、いよいよ海外渡航の手続き。予め送っておいたスーツケースの受け取りやユーロへの両替、搭乗手続きを生徒自身が行う。保安検査(金属探知機)でいきなり内容物のチェックを受けている。筆入れの中のコンパスが問題であったようで、空港で廃棄を決断した(いずれ、ヘルシンキの保安検査の際、確実に没収となるため)。慣れない事ばかりで、戸惑いながらも全て自らの力で体験する第一歩。何とか無事に通過し、予定通りの飛行機に搭乗することができた。
搭乗機はフィンランド航空で、食事や飲み物の機内サービスは英語。さあ、事前研修の成果が試されるとき。生徒は希望する飲み物等の注文を各自が英語で行う。特に支障を感じることもなく、通常に飲み物や食事をとれている。CAに聞き返される場面もあったが上手にコミュニケーションをとっていた。片道約10時間の長旅で研修生は映画を見たり、それなりに時間を過ごしていた。興奮しているのか、寝ている様子はうかがえない。
乗り継ぎのヘルシンキに到着。ここフィンランドで入国審査。パスポートを提示し、機械による顔認証が自動で行われていた。うまく進まない、先回りしてパスポートを提示すると追い返されてしまう。何度もチャレンジしてようやく通過。その後対人による入国目的等の聞き取り。中には、順調に進んだにもかかわらず、ほとんど何も聞かれなかったと不満顔の子も。準備をした成果を試せなかったようだ。
北欧の雰囲気を感じる間もなく、エストニアへ向けての乗り継ぎとなり、プロペラ機に搭乗。さすがに音と揺れは感じるが、それよりも、もうじきエストニア共和国タリンに着く気分の高揚のほうが勝っていた。
若干遅れて、現地時刻で午後6時15分タリン空港に到着。日はまだ高い。日本との時差はこの時期6時間、日本は午前0時15分、もう寝ているころだが、日没にはまだ3時間ほどある。
到着ロビーに出ると「Tere tulemast!(歓迎)、ようこそ!」の横幕が目に入る。これから交流する生徒たちが迎えてくれた。また、日程の関係で、在エストニア日本大使館の松村参事官、篠塚一等書記官にも、出迎えていただいている。ここで、一言ご挨拶をいただいた。
すぐにエストニアの生徒たちとバスに乗車。バスは一路サーレマー島の西端を目指す。その距離約250km。キピ・コービのキャンプ場へ向かう。途中夕食をとり、更に西を目指す。生徒たちは、コミュニケーションを取るより眠気が勝っている様子。無理もない、佐久を出発して緊張の中約20時間が過ぎている。
途中カーフェリーを使い夜11時30分に目的地のキピ・コービキャンプ場に到着。早々に部屋割りを聞き、それぞれの部屋へ。荷解き、シャワーで就寝は翌日の1時ころだったか(日本時間では、8月2日の午前7時)。完全徹夜の長い第1日目が終了した。
第2日目 8月2日(金曜日)
前日の到着が遅かったこともあり、朝食は9時30分。
キャンプ場の食事は、ハム、チーズ、酸味のある黒パン。米(麦)のお粥もありジャムをつけて食す(意外だった)。野菜は、キュウリとトマト。シンプルな定番の朝食スタイルらしい。
さて、高緯度にある北欧のエストニア、この時期は高峰高原をイメージすればいいとのことだったが、まさにその通り、涼しいを通り越してむしろ寒い。
雨模様であったため、食堂の隣のホールにてアイスブレイク。
まずは、名前を覚えるための簡単なゲームやらダンスなど。次第に気分がほぐれてくる。
昼食後は、バスにてクレサーレ市へ(サーレマー島の見学の予定を変更)。クレサーレの市街やクレサーレ城などを見学。このクレサーレ城は、五稜郭と同じひし型の堡塁(死角をなくすため、それぞれの角が前面へ飛び出している)を持つ城(敷地の形状は四角形)となっており、なんとなく親しみを感じる。クレサーレ市内で若干のフリータイムを取る。研修生たちは三々五々散策や初めての買い物を楽しんだようだ。
再びキャンプ場へ引き返し、夕食後に交流会。研修生たちは、クルトナ学校での交流会の練習も兼ね、英語での佐久市紹介や歌の披露(世界に一つだけの花)、また、自分たちで考えたゲーム(全身を使ったじゃんけんとジェスチャーを組み合わせたゲーム)などで更に交流を深めていた。
交流会終了後は、当初夕日を見ながら海辺を散策する予定であったが、交流会が思いのほか盛り上がり時間を超過したため、サウナ体験のみでこの一日を終了することとなった。
言葉の壁はあるものの、徐々にホームステイへの準備は整ってきているようだ。
第3日目 8月3日(土曜日)
10時前にキャンプ場に別れを告げ、サーレマー島の見学へ。
まずは、サーレマー島の最南端のソルベ灯台へ。(灯台の最上階までは、階段のみで243段。約50m。昨日エストニアの引率の先生が、明日は大変な登りがあるからしっかり寝ておけと再三言われたが、このことか。)
研修生はみな難なく最上階へ達し、360度の景色を堪能していた。(双眼鏡が設置されており、リトアニアやラトビアも見えるようだが。)
昼食をはさみ、更に移動してカーリ・クレーターへ、この湖(直径110m、今年は水が少なく直径20m位)は、紀元前660年前後に隕石の衝突によりできたものの一つとのことであった。
この後は、一路サク市をめざし、バスを走らせる。
予定の時刻より早目に到着したが、それぞれのホストファミリーはほぼそろっており、それぞれホームステイ先へ研修生をお願いし、3日間のホームステイが始まった。
2日間の交流があったせいか、皆、笑顔でそれぞれのお宅へ向かったのは、頼もしくもあり印象的であった。
第4日目 8月4日(日曜日)
この日は、終日ホストファミリーと過ごす日。夜にホストファミリーも含めた交流会があるため、ホストファミリー宅で持ち寄る料理の調理の手伝いなど、それぞれにエストニアの家庭の雰囲気を味わったようである。
夜は、クルトナ学校(クルトナは地名)でホストファミリーも交えての交流会が開催された。
クルトナ学校は幼小中の一貫校となっている。
交流会の前に校庭の隅に、参加者全員で「桂」の木を植える。隣には、昨年・一昨年に植樹された桂がある。両市の交流事業がさらに発展し友好関係が堅固となることを念じつつ土を盛る。いつの日か成長した木を研修生と共に見てみたいとの思いを抱いた。
校内入口の広い講堂(ランチルーム)でホストファミリーと一緒に交流会と夕食会が催された。最初に校長先生から歓迎のあいさつ。そして研修生による2度目の佐久市紹介と歌、次にクルトナ学校の生徒による歌とアコーディオン演奏が披露される。
夕食はホストファミリーが持ち寄ったお料理、伝統菓子など、食べきれないほどの量である。学校・ホストファミリーのおもてなしに感激した。おいしく頂いた後、校内の案内を校長先生にしていただく。施設は実にしっかりしている。驚いたことは、校舎内の室温が法律で規定されており、その温度が23度ということ。実に驚きである。校内見学後に特製ケーキをいただき、流れ解散の様相で三々五々研修生はそれぞれのホストファミリーの家へ戻っていった。
第5日目 8月5日(月曜日)
サク市にある幼稚園を見学。対象年齢は2歳(実際は1歳6か月から)から7歳。
(ちなみに、エストニアの小学校への入学は満7歳になった直後の9月)
お昼寝の時間もあり、引き出し式の3段ベッドには驚き。
外遊びを中心とした保育内容で、趣味の時間もあるという。この時期は、夏休み期間中と言うこともあり、子供たちの数は、通常の数分の一程度。園庭は広く遊具も充実していて、子供たちが自由に遊びを楽しんでいた。また、朝食も登園後に幼稚園で摂るということであった。なお、待機児童は若干いるようであるが、民間の受け入れがあると言うことで、空きがでるまで、そちらを利用する家庭もあるようである。
次は、サク市のギムナジウムへ、この学校は、小中高一貫校で、先生の数は100人(医師2名が常駐)、生徒数は約1,400人とのこと。施設は充実していて、温水プールやトレーニングジムも備えている。一般市民も料金(3ユーロ=約360円)を払えば利用できるようである。
生徒数が増加し建物が手狭になったため、今まさに市庁舎を改修し教室の増設を行っていた。8月の末には完成し、新学期には間に合うよう工事を進めているとのことであった。さらに、新たな体育施設も建設中であった。
続いて、マルティ・レヘマー市長を表敬訪問。
挨拶に引き続き、市長自身がパワーポイントを使って現在のサク市の人口が10,252人(サク地区に限ると4,700人)であること、人口が毎年2~300人のペースで増えていること、エストニアは少子化の中、1世帯の子供の数が3人程度に増えてきていることなどの説明を受ける。その後庁舎内を案内いただき市庁舎を辞す。なお、職員数は、45名とのことであった。
本日の最後の日程、酪農中心のエスコ牧場の見学を終え、再度ギムナジウムへ、ホストファミリーと最後の一夜を過ごすため、それぞれの家へと帰っていった。
第6日目 8月6日(火曜日)
本日は、朝の集合時でホストファミリーとお別れ。昨年は土曜日であったためゆっくりとお別れができたが、今年は平日のためか集合場所のギムナジウムに10分前には到着したが、既に6名の研修生やエストニアの生徒たちが集まっていた。
すぐに残る2名も到着し、一路タリン旧市街へ。
交流生徒と専門説明員の案内により旧市街を散策する。バルト海の東側に位置するエストニアの首都タリン。旧市街(タリン歴史地区)は800年の時を経て今に残る。
中世の面影を残す建物群。幾多の混乱や火災を経てもなお、タリンには旧市街を取り囲む城壁と、商館や豪奢な公共建築物、教会建築物などの13世紀から18世紀にかけての建造物が非常に良好な状態で残されており、それが世界遺産に登録される要因であったとのことである。たしかに、古い街並みや石畳などなど、歴史を感じさせる建造物が立ち並び、じっくりと見て回れば時間がいくらあっても足りない感はある(ただし、坂や階段も多く石畳は凸凹で、かなり歩き甲斐はある)。
昼食の時刻に余裕があったため、駅近くのショッピングセンター付近で、フリータイムを取る。
研修生たちは、はぐれないようにホストファミリーの生徒たちとグループを組みそれぞれ好きな場所へお土産などを買いに向かっていった。
昼食後は、エストニアの生徒たちとも別れ、再度旧市街を散策しホテルへと向かう。
このエストニアでの最後の夜はタリン旧市街近くのホテル。観光客も多い。なんとそこで日本からのツアー客に話しかけられていた。世界は確実に狭くなっている。
夕食は近くのレストランへ。ホームステイのことや研修の反省を含めて感想を聞きながら摂る。みな充実した日々を過ごしたようで、もう少しいてもいいかなとの声も聞かれたが、日本に帰りたいとの声も聞かれる。
第7日目 8月7日(水曜日)
エストニア共和国での最後の日である。荷繕いをしてホテルをチェックアウト。荷物はバスに預け、研修生全員そろって徒歩で再びタリン旧市街へと向かう。お土産を買う最後の機会でもある。また、昨日は探し損ねたラエコヤ広場内のゼロ地点の石も探さなければ(この石の上に立つと、再びここに帰ってこられるという伝承があるようだ)。
水曜日と言うことで、テント張りのお土産屋が出ていたが、石は無事発見できた。
石の上に足を乗せ、証拠写真を一枚。
周辺を眺めつつ、開いているお店を探しお土産などを買う。時間が許せばどこかの塔に登り周囲を見渡したかったが、時間内には開場せず登ることはできなかった。
時間はあっという間に過ぎ昼食。前菜、メイン料理、デザートとエストニア最後の食事をゆっくりと堪能し、タリン旧市街を後にした。
いよいよ帰国である。タリン空港にはエストニアサク市の生徒たちやホストファミリーの家族が見送りに来てくれていた。
ハグでお別れ、エストニアでの楽しい想いを残しつつ帰国の途に就いた。(余談だが、「研修生が去ったタリン空港では、見送った生徒たちが大泣きで大変だった」と後日、伝え聞いた。)
第8日目最終日 8月8日(木曜日)
約9時間のフライトで日本に到着。税関チェック、機内に預けた荷物の受け取り、荷物の入れ替えと荷物送付、円への両替等々の手続きを済ませる。出発時とは逆に京成スカイライナー、北陸新幹線を乗り継いで、ついに佐久平駅に到着。ご家族、実行委員長、教育委員会職員に迎えられて帰着式に臨む。みな一様にほっとした表情である。「帰ってきた」と同時に「現実に引き戻された」瞬間でもあった。こうしてエストニア共和国への海外研修は終了した。
4 最後に
ヨーロッパのエストニア共和国に行く、多感な時期を迎えた研修生にとっては、この海外研修を通じ自分の住む佐久市、そして自分自身の身近な環境を外(外国)から見る事ができる格好の機会だったと思います。そのことによって、それぞれが、様々な思いを持ち、感じ、今までと全く違った視点から物事を捉えられるようになるきっかけ作りができたのではないかと思います。
8日間のこの貴重な体験を、将来の進路に活かしてくれることを期待します。
最後に、私自身も、この海外研修に参加させていただき、研修生と共に貴重な体験と多くの出会いの機会を頂きました。研修が無事終えられたのも本事業に係るすべての皆様の心遣いとご支援のおかげだと思っております。改めて感謝を申し上げ、研修報告といたします。ありがとうございました。
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