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五郎兵衛記念館

施設概要

五郎兵衛記念館は、江戸時代初期に私財を投じて五郎兵衛用水を開削し、五郎兵衛新田を開発した、市川五郎兵衛真親(さねちか)翁の開拓の偉業を顕彰し、関係資料を整理保管するとともに、学術研究に寄与することを目的として、昭和48年に開館しました。

五郎兵衛新田村に関する古文書約3万点と周辺地域の古文書約3万点を収蔵し、その一部を展示しています。また、関係の農具なども展示しています。

市川五郎兵衛 (1571-1665)

市川五郎兵衛真親(さねちか)は、戦国時代の元亀2年(1571)ころに、上野国甘楽郡羽沢村(現:群馬県南牧村)に生まれました。市川家は羽沢村を本拠地とする土豪の家で、五郎兵衛が生まれたころは、甲斐国の武田家につかえていました。

ところが、五郎兵衛が生まれてまもない天正元年(1573)に武田信玄が死去し、さらにその9年後には、信玄の子勝頼も織田信長・徳川家康に攻められ自殺し、武田家は滅びてしまいます。これによって市川家は主を失ってしまいますが、それを見た徳川家康から仕官の誘いがあったと伝えられています。しかし、市川家はその誘いをことわり、代わりに家康から鉱山開発・新田開発をしてよろしいという「朱印状」をもらいました。文禄2年(1593)12月のことでした。五郎兵衛は、この「朱印状」を根拠にして砥沢村(現:南牧村)で砥石山の経営を行うとともに、信州佐久地方へやってきて、新田開発を行いました。

佐久地方へやってきた五郎兵衛は、まず三河田新田・市村新田(ともに現:佐久市)を開発し、ついで五郎兵衛新田(現:佐久市)の開発にとりかかりました。そのために寛永3年(1626)12月、当時この地方一帯を支配していた小諸藩から「開発許可状」をもらい、蓼科山の山中の湧水を水源とし、その水を春日村地先で取水し、そこから約20キロメートルの用水路を開削して矢嶋原(のちの五郎兵衛新田)まで引いてきました。そして、この用水を基に五郎兵衛新田を開発しました。用水路が完成したのは、寛永8年(1631)ころと推定されています。

こうした功績が認められて五郎兵衛は、寛永19年(1642)に小諸藩から、150石の土地を褒美領として与えられています。しかし、新田開発に寄せる五郎兵衛の情熱はその後も衰えなかったようで、さらに御牧原を開発しようとしていたと伝えられています。しかし、それは実現しませんでした。そして五郎兵衛は、94歳という長寿をまっとうし、寛文5年(1665)9月9日にこの地で死去します。なきがらは、遺言で村内の高台に葬られ、現在も五郎兵衛新田を見守っています。

利用案内

開館時間

 午前9時~午後5時

観覧料

 無料

休館日

 毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
 祝日の翌日(土曜・日曜・祝日にあたる場合は開館)
 年末年始(12月29日~1月3日)

3月、4月、5月の休館日

3月:6日、13日、27日
 ※3月21日(火曜、祝日の翌日)は、企画展期間中のため臨時開館いたします。
4月:3日、10日、17日、24日
5月:8日~10日、15日、22日、29日
 ※5月1日(月曜)は、ゴールデンウィーク中のため臨時開館いたします。
 ※5月9日(火曜)および10日(水曜)は、ゴールデンウィーク中の開館による振替休館です。

アクセス

車でのアクセス

上信越自動車道

佐久I.Cから約25分
小諸I.Cから約30分

中央自動車道

須玉I.Cから約2時間20分

最寄り駅からのアクセス

JR長野新幹線またはJR小海線 佐久平駅から車で約20分
JR小海線 中込駅から車で約20分
しなの鉄道 小諸駅から車で約25分

お問い合わせ先

佐久市五郎兵衛記念館
〒384-2104 長野県佐久市甲14-1
電話・FAX 0267-58-3118
mail gorobei@city.saku.nagano.jp

市内の美術館・博物館

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