第29回 ユネスコ無形文化遺産登録申請の踊念仏と五郎兵衛用水
更新日:2022年11月16日
用水を守り文化も守り
「跡部の踊念仏」〔国指定重要無形民俗文化財・平成12年指定〕写真出典『佐久市の文化財』平成22年・佐久市教育委員会
世界遺産と信州佐久
ユネスコ(国連教育・科学・文化機関)は、11月28日からモロッコ・ラバトで開催される政府間委員会で、佐久市跡部の踊念仏など、国内41件の伝統的な盆踊りや、念仏踊りで構成される「風流踊り」を、無形の芸能や儀式を保護対象とする「無形文化遺産」に登録する見込みです。
世界遺産関係では、五郎兵衛用水が平成30年度に「世界かんがい施設遺産」に登録されています。
それというのも、佐久市では用水開発の歴史など、伝統文化の保存と、継承を大切にしてきたことからでしょう。
国指定重要文化財『紙本着色一遍上人絵伝』南北朝時代14世紀 33.8×1798.7ミリメートル 所有者・金台寺 写真出典『佐久市の文化財』平成22年・佐久市教育委員会
踊念仏の歴史と佐久
佐久市野沢、時宗金台寺が収蔵する、国指定重要文化財『一遍上人絵伝』の詞書によれば、弘安2年(1279年)一遍は、信濃国佐久郡伴野荘ではじめて踊念仏を行いました。
この貴重な絵巻を伝えている金台寺は、その当時の伴野荘で見ると、古い善光寺参詣道に近くに位置し、一遍の事績から創建されたと伝わる歴史の古い時宗寺院です。
ところで、時宗の長い歴史を辿れるものに、京都の長楽寺『遊行派末寺帳』があります。その記録に中世まで信州には、時宗系寺院は23ヵ寺もあったとされています。
しかし中世佐久に混乱を招いた、霜月騒動や大文字一揆、そしてその後の動乱により、現在県内の時宗寺院は、市内金台寺と、25菩薩来迎会で知られる小諸市平原の十念寺だけになってしまいました。
ちなみに長楽寺末寺帳で、信州の現在地未詳とされる時宗末寺中に、信濃西蓮寺とあります。
佐久市内を見ると、一遍に大変ゆかりの深い落合善光寺の千曲川対岸に、地名に西蓮寺と残されていたり、また信濃大炊(おおい)光福寺ともありますが、大炊が大井だとしたら、かって佐久では時宗の信仰がとても盛んなことが偲ばれます。
市内で2番目に古い踊念仏古文書『踊念仏讃』寛政2年(1791)1月 用水を守り文化も守ってきた用水堰役人家に伝えられてきました。『五郎兵衛記念館古文書目録第5集』土屋芳彦家古文書目録No.11
伝えられた貴重な踊念仏の記録
五郎兵衛用水が開発され、初めて五郎兵衛新田村が開かれました。この村の変わっているのは、江戸初期の開村から昭和まで、10万点近い村の記録、村方古文書を大切に守ってきたことです。
ちなみに踊念仏の記録を探すと、江戸時代の五郎兵衛新田村では、盛んに催されていたことが『五郎兵衛記念館古文書目録第5集』の『土屋芳彦家古文書』に残されています。
その古文書には、寛政2年(1791)1月の『踊念仏讃』と、文化3年(1807)3月『舞之覚』があり、念仏踊りの伝統行事を記録しています。
風流踊りの伝統を守る苦心を伝える古文書「若い者どもの踊の催につき親惣代の誓約書〛〔倅共親惣代彦左衛門→村役元〕文政元年(1818)9月 『五郎兵衛記念館古文書目録第5集』土屋芳彦家古文書目録No40
踊念仏の長い歴史には中断の危機も
そして微笑ましい関係古文書は、文政元年(1818)9月の「若い者どもの踊りの催につき親惣代の誓約書 [倅共親惣代彦左衛門外二名→村役元〕」です。
この古文書で、村役人は時節柄踊りは自粛だといいますが、若者たちは踊りをどうしても催したいと頑張り、最後は間に挟まれた親たちからの、親心が深くにじんだ執り成しの記録です。
それというのも、江戸幕府が編纂集成した『御触書書(おふれがきしょ)』文政元年の記録を見れば、「御法事併鳴物停止御機嫌伺」という御禁制が、一年間に26回も出されていた、という時代背景があります。
参考までに、佐久市教育委員会『佐久市志資料目録』で、踊念仏関係古文書を検索すると、寛延3年(1751)3月の『踊念仏読本』「並木弘家所蔵史料」、天保11年(1840)『跡部念仏関係文書』「念仏踊保存会」があります。
絵巻 一遍聖絵(一遍上人絵伝)ついて
五郎兵衛記念館展示中の『一遍聖絵』第四巻の複製、約6mとその長さに驚かされます。写真で絵巻の手前部分は、市川五郎兵衛家に大変関係の深い、小田切の里されています。
上記複製の原本部分『国宝一遍聖絵 第四巻』から 出典『時衆の美術と文芸』時衆の美術と文芸展実行委員会・山梨県立美術館・長野市立博物館・藤沢市教育委員会・大津市歴史博物館共催
絵巻に残された踊念仏の佐久
一遍伝を描いた絵巻には、大きく二つの系統が存在します。一つは一遍の弟子聖戒が先述した全12巻の『一遍聖絵』です。そしてもう一系統は、一遍だけでなく教団後継者の他阿真教の事績と合わせて、真教の弟子とされる宗俊が全10巻に著した『遊行上人絵伝』です。
この2系統の絵巻、以前は、「一遍上人絵伝」「一遍上人絵詞伝」などと呼び分けていました。
この両絵巻が描く信州佐久ですが、一遍が初めて踊念仏を開催した場所を、重文『紙本着色一遍上人絵伝(金台寺本)』では、信濃国佐久郡伴野としています。
しかし、国宝『一遍聖絵』では、信濃国佐久郡小田切の里(市内旧臼田町小田切)と、使い分けています。実はそれには深い時代背景があります。
この一遍と、佐久を深く研究した方の著述に、井原今朝男さんが「信濃国大井荘落合新善光寺と一遍」として『時宗文化』第16号に、また砂川博さんが、『一遍聖絵』第四の詞と絵』と題して『時宗文化』第17号に、佐々木哲さんは、『一遍聖絵』小田切郷地頭と『太平記』小島法師の系譜、というテーマで『時宗文化』第21号に、それぞれ佐久と時宗について貴重な論説を展開されています。
国指定重要文化財『紙本着色一遍上人絵伝』南北朝時代14世紀33.8×1798.7ミリメートル 所有者・金台寺 写真出典『佐久市の文化財』平成22年・佐久市教育委員会
踊念仏のことがわかる刊行図書
『国宝一遍聖絵と時宗の名宝』時宗二祖真教上人の7百年御遠忌記念展の図録・京都国立博物館 2019年4月
図録『時宗の美術と文芸・遊行聖の世界』展 山梨県立美術館・長野市立博物館・藤沢市教育委員会・大津市歴史博物館共催1995年11月
『碓氷郡の神と仏』展図録 安中市学習の森ふるさと学習館 2112年11月 県境を越えると時宗寺院が現代まで貴重な文化遺産を継承しています。
『時宗文化』第16・17・21号 中世信州佐久の踊念仏と人々の歴史を研究者が解明して発表しています。
一遍の踊念仏で知られる小田切の里と、五郎兵衛用水開発者の関係を語る記録『市川中興家譜』寛永八年(1632)9月・市川四郎兵衛真久 撮影五郎兵衛記念館
五郎兵衛用水開発者と踊念仏ゆかりの信州佐久小田切の里
寛永4年(1628)3月、市川五郎兵衛の家は火災により全焼してしまいます。
この時、貴重な記憶が消えてしまうのを惜しみ、五郎兵衛の父四郎兵衛真久は、寛永8年(1632)9月一族の苦難の歴史を『市川中興家譜』として書き残しています。
永禄3年(1560)5月、この古文書で南牧市川一族は、一遍上人所縁の市内小田切郷を、武田信玄から宛がわれています。
しかしその裏には、戦国時代佐久平の多くの家々が味わっている肉親の戦死、それは四郎兵衛真久の父、真貞の永禄元年(1558)5月、22歳で芦田での陣没がありました。このとき真貞の子真久は僅か2歳でした。 (根澤茂)
お問い合わせ
社会教育部 文化振興課
電話:文化振興・文化施設係:0267-62-5535 文化財保護・文化財調査係:0267-63-5321
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