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7 地域の特色の知名度向上について

更新日:2022年2月15日

質問者:臼田中学校 浅川 龍之介(あさかわ りゅうのすけ)くん

 ここ佐久には、ほかの地域には見られないような様々な特色や文化が数多くあります。特に龍岡城五稜郭は、日本に二つしかない五芒星型の星型要塞の一つで、しかもその城跡内には、小学校が建てられているという、大変珍しい特色です。ですが、その大変珍しい特色である、龍岡城五稜郭は、全国的にはほとんどといっていいほど知られていません。こんなにも珍しい特色があるのに、全国的に知られていないのは、とってももったいないと僕は思います。そのため、もっと地域の特色を積極的に宣伝し、地域活性化にもつなげていってほしいです。

答弁者:市長

 
 臼田中学校 浅川 龍之介君からの「地域の特色の知名度向上について」の質問にお答えいたします。浅川君のご質問にありますとおり、五つの稜堡(りょうほ)が星形につき出ている洋式城郭「五稜郭」は、日本国内に二つしか存在しておらず、その一つは函館にあり、もう一つが、国が史跡として指定している佐久市田口の「龍岡城跡」にあります。
 函館の五稜郭は、年間80万人の観光客が訪れる、日本でも有数の観光スポットです。一方、龍岡城五稜郭を訪れる観光客は、年間で2万人ほどではありますが、先ほど申し上げた通り、日本に二つしかない「五稜郭」の一つであること、また、史跡内に小学校が建てられていることなど、その珍しさから、以前には、テレビ番組などにも取り上げられたことがあるほか、ドローンで上空から撮影した動画が、YouTubeなどでも配信されています。また、地元の有志で組織される「龍岡城五稜郭保存会」の皆さんが、五稜郭を訪れる方々に、その歴史や魅力などについて丁寧に説明をし、さらに、お堀の土手に植えられた桜の開花時期には、「五稜郭であいの館」で観光客を湯茶で接待するなど、この地ならではの「おもてなし」がされており、魅力的な観光スポットと感じた方も多くいらっしゃるものと思っています。
 龍岡城は、明治元年の前年(1868年)に完成しましたが、明治4年の廃藩置県により取り壊され、そこにあった「門」や「塀」も、他の場所に移されてしまいました。その後、唯一残されたお台所は、明治8年に学校となり、それ以来、こどもたちの大切な学びの場として城跡に田口小学校が建てられていることから、大規模な史跡の整備が叶わなかったところです。こうした中で、臼田地区4小学校統合が決まり、現在、令和5年4月の開校を目指し、新小学校の建設工事が進められています。このことにより、閉校となる田口小学校は、取り壊しが予定されております。そこで、市の教育委員会では、龍岡城をできるかぎり築城当時に近い状態に戻し、また、観光スポットとしても活用することを目的に、「史跡龍岡城跡整備基本計画」を策定、龍岡城跡を史跡公園とするため、現在準備を進めているところです。
 また、龍岡城の築城主である大給恒(おぎゅうゆずる)は、日本赤十字社の前身である博愛社の設立者の一人として、「日赤の母」とも呼ばれており、更に、在席した明治政府では、日本の勲章制度創設にあたり、その中心人物となるなど、新たな時代の変革に大きく寄与した、時代の先駆者として知られています。教育委員会では、こうした大給恒の残した功績についても、「佐久市大給恒顕彰委員会」において、研究を進めています。先駆者である大給恒についても、その功績などをまとめた資料を、「五稜郭出会いの館」に展示し、佐久市の貴重な歴史資産と、偉大な先人とを関連付け紹介していくことで、多くの皆さんに興味をもっていただけるよう努めていきたいと考えています。
 更に、近隣の新海三社神社や蕃松院(ばんしょういん)、川村吾蔵記念館なども観光資源として結び付け、「龍岡城五稜郭」を中心とした観光拠点としての充実をはかり、龍岡城五稜郭保存会をはじめ、地域の皆さんや、市教育委員会、佐久市観光協会と協力し地域の活性化にも努めてまいりたいと考えております。

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